信州は妻のふるさとなので、軽井沢、小諸の叔母さんたちに旅立ちの挨拶にうかがってきました。私の妻のことを自分の娘のように思ってくれていて、これで今生の別れかもしれないという叔母に、妻が一生懸命「字のない本」で福音をお分かちしていました。夕方になると、義兄夫妻が訪ねてくれました。妻は恵まれていて、ほんとうにやさしく親切な夫妻なんです。
近所にもトラクトとふきんをもってご挨拶回りをしました。こういう配慮ができるのは、妻です。また、少し離れたところからも、わざわざ会いに来てくださる方やお便りをくださる方がいます。それほどに深いお付き合いがあったわけでもなかった人も、どういうわけか、みなさん涙ぐまれて、別れを惜しんでくださるのが不思議です。
二十二年前、東京を離れるときは、教会外の方たちまで別れを惜しんでくれるということはありませんでした。都会と田舎のちがいでしょうか。あるいは小海町、佐久穂町、南牧村、南相木村、北相木村から成る南佐久郡で唯一の教会の牧師だったということでしょうか。そうだとしたら、田舎の教会の牧師夫婦の特権ということかもしれません。「後任にはもっと若くて三人のお子さんを連れたA牧師夫妻が来ますから、よろしくお願いします。」というと、すこしほっとしたような表情をなさいます。
それから、合間を縫うようにして次の主の日、北海道苫小牧での説教準備。新約と旧約から一篇ずつです。
<追記>
反省するのは、練馬ではそれほどに地域に浸透するような伝道ができなかった、しなかったということでもあります。練馬の大泉を去るとき、ああ、この地には十分に福音を満たすことができなかったという思いがありました。そして、南佐久郡では、同じまちがいを繰り返すまいと思って22年働いて来ました。おそらく、今、南佐久は日本でもっとも「福音濃度」の高い地域の一つだと思います。
でも、多くの共感者は起こされても、弟子となった方たちは一握りであったことは、残念です。しかし、ずっと後の日に収穫を見いだす希望をもって、後任の伝道者にバトンを渡しました。