苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神様のおちょくり

 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。

 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」   マルコ4:35-41

                        

 What  the Pastors!に豊田信行牧師が出て、おもろいことゆうてはった。それは神様はおもろいお方で、ぼくらをおちょくってくることがある。そやのに、クリスチャンはtoo seriousに取りすぎてるんちゃうか、というねん。たとえば、このガリラヤ湖のあらしの場面。突然の嵐で、舟は大波をかぶって水浸し。このままでは沈没や、と弟子たちは必死こいて水をかき出してんのに、イエス様はずぶ濡れになりながら、ともに枕して寝てはる。いや、どう見ても、寝てられるはずがないやろ。実はイエス様は、弟子たちが「水かぶっといて、なんで寝てるねん?!」と突っ込んでくるのを待ってはるんや。「せっかくボケとるのに、なんで突っ込んでけーへんねん」と思ってはる。・・こういうことです。

 たしかに、イエス様のユーモアというのを、私も福音書を読んでて感じるところがあります。復活のあとのイエス様の出現の記事には、そういうところが多いですね。こういうのも、too seriousなクリスチャンが見落としがちなところだと思います。私も人生に嵐が起こってきたとき、too seriousにふさぎこむんでなく、「神様、またむずかしいクイズ出しよったなあ。」ととらえると、余裕ができることを経験します。

こちら聞いてください。豊田せんせい、最初は調子が出てませんが、途中からおもしろくなります。大事なことをおそわりました。
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