マルコ3章7−19節
2016年7月17日 苫小牧主日朝拝
1 ガリラヤ宣教の概要
(1)人々が集る
7節から12節は、イエス様のガリラヤ宣教のありさまの概要です。イエス様の宣教が始まると、イスラエル全土ばかりか周辺の国々からも、続々と人が集ってきました。
3:7 それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、 3:8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。
まるで民族大移動みたいな動き方です。
彼らの目当ては、病気を治してもらいたい、あるいは、悪霊を追い出してもらいたいということでした。10,11節にあるとおりです。
3:10 それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。
3:11 また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です」と叫ぶのであった。3:12 イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。
現代とちがって、医療技術というものが乏しく、病院などなかった当時としては、病気が治してもらえるということは、なによりありがたいことだったのです。私が春までいた信州の佐久地方にある臼田町は、今はシャッター商店街で、人影まばらな町ですが、その臼田町の一箇所だけは毎日人だかりがしています。佐久総合病院です。県外からも患者たちがやってくるのです。どの時代も病人だけは、決してたえることがないのです。そういう病院のない時代、ガリラヤの田舎に病を治してくれる人がいるといえば、イスラエル中から人々が集ったのは至極当然のことでした。
(2)福音を知らせたい
やさしいイエス様は、そうして集ってくるさまざまの病人たちを癒してやられたのですが、しかし、イエス様がほんとうに彼らに与えたいものは、病の癒しよりもはるかに大切なものでした。それは、神の国の福音です。神様との破れてしまった関係を、イエス様が直しに来られたのだということを伝えたかったのです。
「人はたとえ全世界を手に入れてもまことのいのちを損じたら、なんの得があるでしょう。」人はたとえガンが治っても、地獄に落ちたらなんの得があるでしょう。たとえガンで死んだとしても、その行き先が神とともに生きる永遠の至福の天国であれば、ガンはたいした問題ではありません。
しかし、イエス様がたいせつな永遠のいのちの話をしようとしても人々は病気を治してくれと押し寄せてくるので、ゆっくりと彼らに話をすることができません。そこでイエス様は一策を講じました。
3:9 イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。
これはガリラヤ湖のほとりに押し寄せてきた群衆に、じっくりと話を聞かせるための工夫です。群衆はガリラヤ湖畔の斜面にびっしりと集っています。イエス様は湖に数メートル漕ぎ出した舟から斜面の群集にむかって、神様について、人間には自分ではどうすることも出来ない罪がある現実について、しかし、その罪からの救い神の国、永遠の命を賜るためにご自身が来られたことを懇々と言って聞かせたのでした。イエス様の背後から湖面をわたるそよ風が、イエス様のことばを湖畔の斜面にいる群集に届けてくれるのです。
2 十二弟子任命
次に13節から15節までは、主イエスの世界宣教のマスタープランについてです。
3:13 さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。
3:14 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
3:15 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
(1)世界宣教のマスタープラン
イエス様は、福音宣教の働きを、ご自分ひとりではなく、弟子たちに分かつことにしました。イエス様の公生涯はわずか3年間ですが、その3年間が世界を変えました。それはイエス様が少数の弟子たちを選んで特別な訓練を施したからです。主イエスお1人で三年間の伝道活動はできたでしょうが、もしイエス様がお1人ですべてのことを行って3年間を終えてしまっていたら、今日に至るキリスト教の歴史はなかったでしょう。弟子たちを訓練していたからこそ、主のお働きは継続され、拡大されて、いまや世界に福音が伝わり、私たちのところにも伝わってきました。
イエス様は行き当たりばったりに伝道したのではないのです。イエス様の頭の中にはマスタープランがありました。その中の優先事項は、後継者の養成でした。三年たったら自分は天の父の元に帰るのだから、ご自分の働きの後継者を養成しておかなければならないと心に決めておられて、それを実行なさったのです。
今日の私たちの教会あるいは教団に適用して考えると、たとえば、ある程度の規模の教会になると、牧師と牧師夫人がなにもかもしていたら、まだイエス様のことを知らない方たちに伝道することはできなくなります。教会を初めて訪ねてくださった方たちに教会のこと、イエス様のことを紹介する係りを牧師や牧師の妻だけがするのでなく、基本的な聖書の教育を終えた兄弟姉妹たちがしてくださるというのは、多くの方たちに福音をあかしするために、とても大事なことです。苫小牧福音教会ではそういうご奉仕の出来るように学びをすませた兄弟姉妹が数名いらっしゃるとうかがいました。すばらしいことです。今度からお願いしようと思います。
また、教団全体について、適用すれば、明日の牧師・伝道者の養成もまた、福音宣教の前進のために非常に重要なことです。私たちの教団には一つのスローガンがあります。「明日の伝道者は、全教会で育てる」です。そうして、明日の伝道者育成献金というものをしていて、神学生・神学教師となるために学んでいる教師たちのための奨学金を支出しています。また苫小牧福音教会が、北海道聖書学院、東京基督教大学の支援をしていることは、神様に喜ばれていることですし、私を神学校教師として送り出していてくださることもそうした主へのご奉仕です。
3 12人12色
さて、イエス様は、十二人の弟子をお選びになりました。12というのはイスラエル12部族にちなんだものです。
3:16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、
3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、
3:19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。
(1)3人が特別に
マルコ福音書における12弟子リストアップの仕方に特徴があります。12人のうち、シモンとヤコブとヨハネを最初に挙げているという点です。12人はイエス様が特別に選んだ弟子たちですが、その中でもこの3人はさらに特に訓練をほどこした者たちであり、初代教会のリーダーとなるべき人々でした。変貌の山につれて登ったのもこの3人、ゲツセマネの園に連れて行ったのもこの3人です。中核となる彼らを訓練し、そして12人、そして、ルカ伝を見ると70人の弟子たちということも記されています。
これは何を意味しているのかを考えてみると、牧師・伝道者の養成には、大量生産のようなマスプロ教育では無理で、14節に記されているように「そばに置く」ことが必要なんだということです。福音の伝達は、単なる知識の切り売りや情報の伝達ではなく、人格から人格へと伝えられるものです。ことばはきわめて重要ですが、ことばは生き方が裏打ちされて伝えられていかねばならないということです。イエス様でさえ、特に直接に養育したのは3人であり、12人でした。神学校で伝道者・牧師養成には少人数でなされ、寮生活が求められるのは、そういうことがあるからでしょう。
(2)十二人十二色
そして弟子たちを見ると、実に、いろいろな性格・いろいろなバックグラウンドの人が選ばれています。
まずシモン・ペテロです。もともと職業はガリラヤ湖の漁師でした。性格は単純率直、直情径行でおっちょこちょいな人です。でも、筆頭の弟子としての印象が強い人です。ですが、強いようでもろいところがある人物でした。
アンデレは、シモン・ペテロの弟です。たぶん人の良さそうなぼんやりしたところがある人でした。5000人の群集を前にして、イエス様から「あなたがたで彼らを食べさせてやりなさい」と言われて、「この少年が五つのパンと二匹の魚を持っています」とうれしそうに連れてきて、みんなからあきれられたようなのんきな人物。
ヤコブとヨハネは兄弟も漁師でした。イエス様が名づけたボアネルゲ、雷の子たちという意味ですから、彼らは瞬間湯沸かし器のような、熱しやすい、激しい気性をもった兄弟であったのでしょう。実際、イエス様に味方しない町には天から火を降らせてしまいましょうなどとひどいことを言った場面が福音書にはあります。そんなヨハネは後に、愛の使徒と呼ばれる人として変えられています。
また、ヨハネは、それほど高度な学問は教わっていないと思うのですが、「はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにおられた。ことばは神であった。」と始まる、哲学的な雰囲気のあるヨハネ福音書を後に記すことになります。彼は霊的な洞察力のある人で、たとえば復活の朝、イエス様の墓にシモン・ペテロと一緒に出かけてみると、そこには亡骸はありませんでした。そのとき、ペテロは何がなんだかわかりませんでしたが、ヨハネは見て、主イエスの復活を悟りました。ガリラヤ湖で、朝もや岸辺に立った人がイエス様だと最初に気づいたのもヨハネでした。
ピリポ、バルトロマイ、アルパヨの子ヤコブとタダイはよくわかりません。
トマスは、生真面目な人でした。ある時は「私たちも主といっしょに死のうではないか」と口走るような、深刻な性格で、殉教志願者っぽいところのある人です。しかし、主イエスが復活した日、どこかに出かけていて、ほかの十人の弟子のところに復活の主がこられたのに、彼ひとりいなかったという間の悪い人です。そして、「この指をイエス様の手に差込み、この手をイエス様のわきばらの槍跡に入れなければ信じない」と叫んだ人でした。そういう懐疑主義者という面もあるのです。
それから驚くべきは、マタイと熱心党員シモンの両方が十二弟子にいたことです。マタイは当時の社会では守銭奴にして売国奴であった取税人をしていた人物です。他方、熱心党員シモンとありますが、熱心党員は国粋主義テロリスト団員ということです。こういう犬猿の中であるような人たちが同じ主イエスの弟子だったということです。主イエスのもとにあっては、いろんな背景の人々、いろんな性格の人々が一つとなって行ったのですね。
そして、一つの謎はイスカリオテ・ユダです。ユダについてはイエス様を裏切った人ということだけです。(3:19)。ユダは弟子団の中で会計係をしている人でした。どうもユダはその弟子団の財布から着服していたということが記録されています。
主イエスに選ばれた十二人の弟子たち。背景も性格もみな違っている十二人十二色ですが、イエス様に従って一つの弟子団としての歩みをしてゆくことになります。これは、教会のあり方の一つの型です。私たちは互いに違っているのですが、それはひとりひとりが人間の工場で造られた画一的な製品でなく、神様のかけがえのない芸術作品であるからです。苫小牧福音教会の私たちも、ひとりとして同じ人はいません。年齢も、育った環境も、性別も、国籍もなにもかもがいろいろです。ですが、ともに主イエスに結ばれて、互いを受け入れあってともに御国の前進のために生きてまいりましょう。