苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大正デモクラシーから全体主義と戦争への急速な転換

 1889年2月11日から、1914年12月31日まで『日本』という日刊紙があった。その後、1925年に小川平吉の手により再創刊され、1935年まで10年にわたり、日本主義を主張する新聞として出版された。その10年に、我が国は大正デモクラシーから全体主義と二十年戦争へと暴走していった。新聞『日本』は、「非国民」「売国奴」という当時も良識からして使用がためらわれることばを、頻繁に論敵に投げつけることによって、その社会の良識を破壊していった。
 といっても、わずかな発行部数の新聞「日本」が、本当にそれほどの影響力をもちえたのだろうか。実際には、満州事変をきっかけに国民世論が沸騰して主戦論に転じて、従来、戦争反対を基調とする朝日、毎日など大新聞が、在郷軍人会の不買運動もあって、発行部数が激減し、背に腹は代えられなくなって主戦論に転じたことが決定的だったといくつかの証言から知った。
 その背景には、世界恐慌と日本の恐慌、それに対応できない議会政治、議会政治を重んじる政治家たちへの相次ぐテロ、2.26事件、5.15事件、天皇機関説批判、満州事変へと軍部の暴走があった。
 現代では、この新聞『日本』の役割を小林よしのり戦争論』、産経新聞、2ch「保守速報」にたむろするネット右翼がしている。