苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法の制定過程(その1)

           2013年5月8日 脱稿

<目次>

Ⅰ 「押し付け」憲法論について
 1 「押し付け」憲法論の根拠と目的
 2 「押し付け」憲法論への簡潔な反論
Ⅱ 日本国憲法の制定プロセス
 1 日本国憲法の制定過程概観
(1)日本国憲法関連 略年表
(2)日本国憲法を書いたGHQ民政局の人々
 2 米国による日本の非軍国化研究
    国務省極東班と戦後計画委員会(PWC)
 3「基本的人権尊重」「国民主権」は明治の自由民権運動の復活である
(1) 憲法研究会「憲法草案要綱
(2) 思想的源泉・・・植木枝盛
(3)「象徴」天皇
 4 9条の起源
(1)その発案者は
(2)幣原喜重郎の深謀遠慮
むすび


Ⅰ 押し付け憲法論について

1 押し付け憲法論の根拠と目的
(1)ポツダム宣言は新憲法制定は求めていない
 産経新聞は「そもそもポツダム宣言は、『新憲法制定』については何ら規定せず、「GHQポツダム宣言に反し、当初から占領政策の大きな柱として新憲法の制定を決定した」(産経新聞1997年2 月3 日参照)という。

(2)ハーグ陸戦条約 違反である
日本国憲法は、形式上、日本の国会の審議による明治憲法の改正という手続きをとってはいるものの、アメリカ占領軍が6 日6 晩で起草し、これを日本側に押しつけたものである。占領下におけるこのような憲法の改正はハーグ陸戦条約に規定された国際法の違反である」(藤岡信勝『汚辱の近現代史』)

(3)英文原案が日本政府に交付されたから
「原案が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのであるから、この面に関する限り、それを押しつけられ、強制されたものであるとすることも十分正当であるというべきである。特に、日本側の受諾の相当大きな原因が、天皇制維持のためであったことも争えない事実である。
ただ、それならば、それは全部が全部押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで、制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。」これが憲法調査会憲法制定に関する結論部分であります。(西修衆議院憲法調査会、2000 年2 月24 日)

(4)自主憲法制定のために
明治憲法天皇が下された欽定憲法であり、今の憲法は、占領中、占領軍の有力な指導、影響でできた占領憲法だ。我々は初めて、国民憲法をみんなでつくろう、そうゆうような意図で国家の形と心をはっきり固めて、この国家構造をしっかりした上で、戦略的に米英で軽視されない、中国やロシアにも軽視されない、顔のある国家に作っていかなければならぬ、そういう段階に入ったと私は見ています」(中曽根康弘衆議院憲法調査会、2000 年5 月11 日)

「占領中にできた、そのことはハーグ条約に違反しているということもありますが、それよりも、やはりこれは私たち日本人の精神に大きな影響を結果として及ぼしているんじゃないか、このように思います。・・・そういう意味で、今度こそ根本的に私たちは私たちの手で新しい憲法を作っていくということが、私は極めて重要なんだろうと思います。」(安倍晋三自民党幹事長、衆議院憲法調査会、2000 年5月11 日)


2 押し付け憲法への簡潔な反論

(1) ポツダム宣言12か条の第十項、第十二項
「十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ 」
「十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ 」
 ポツダム宣言には上記のように記されており、わが国がこれを公的に受諾した以上、「民主主義実現」「言論、宗教思想の自由、基本的人権の尊重」「平和的傾向と責任ある政府」を具体的に実現するために、憲法改正が求められた。必ずしも不当・新憲法無効とは思われない。

(2) 憲法改正要求はハーグ陸戦条約に違反するとされる件に関して
「第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。 」
 GHQは、憲法を抜本的に改正しなければ日本が再び軍国主義に陥りうると考え、それが「絶対的な支障」であると判断した。

(3)政府に渡された英文のGHQ草案の内実は、相当に日本製である
 後に「Ⅲ」で詳しく見るように、この英文原文は、GHQ法規課長ラウエルが中心となって記されたが、それは憲法研究会の「憲法草案要綱」(起草者、鈴木安蔵)の影響を相当受けている。すなわち、そこには明治期の自由民権運動の思想家植木枝盛の「儀礼天皇制・国民主権基本的人権」が含まれている。明治期、憲法制定をめぐって国権論と民権論の論争があったら、結局、民権論者は弾圧されて、国権論に立つ大日本帝国憲法でわが国は軍国主義に向かって進むことになった。しかし、太平洋戦争における敗戦を経て、民権論が鈴木安蔵による憲法史研究によって息を吹き返したと理解することができる。
 また、GHQ草案には幣原喜重郎首相がマッカーサーに提案した、戦争放棄・軍備放棄条項を加えられている。幣原喜重郎は1928年のパリ不戦条約に戦争放棄を盛り込んだ人物だった。これについて詳細は後に述べる。
 そういう意味では、日本国憲法における、<象徴天皇制>と三大原理である<国民主権基本的人権の尊重・戦争放棄>は、米国から押し付けられたというよりも、敗戦を機に日本の中にあったが、強権で押しつぶされていたものが息を吹き返して表にでてきたものというのが正確である。

(4)「自主憲法制定」というスローガンは、愛国的に見えて実は売国的である
  後に「Ⅱ」で見るが、CIAの工作員であった岸信介以来、「自主憲法」「自主軍隊」は、実のところ、米国の戦争に日本が兵士を提供するためのカモフラージュされたスローガンである。
 1952年、公職追放を解かれた岸信介は「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」を三大スローガンとして、日本再建連盟を設立して会長となった。ところが、この安倍晋三がこよなく尊敬する祖父岸信介は、すでに周知のことであるが、CIAのエージェントであり、米国から莫大な政治活動資金を得て活動していた。

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20110306/p1

岸信介とCIA http://www.yamamotomasaki.com/archives/384

 1949年10月1日に中華人民共和国が成立し、1950年6月25日に朝鮮戦争が始まると、米国は日本を共産主義に対する防波堤とすべきだと考えるようになった。そして、日本国憲法9条戦争放棄条項が邪魔になってきた。9条ゆえに、日本の兵士を朝鮮戦争に動員することができないからである。D.マッカーサーは、米国議会でなぜ日本に戦争放棄条項のある憲法を定めさせたのかと追及を受けている。朝鮮戦争は1953年7月まで続いた。

 こうしてみると、CIAのスパイである岸が、なぜ「自主憲法制定」「自主軍備確立」を訴えたか、その理由は、あきらかであろう。日本に米国の戦争の下請けをさせる上で、日本国憲法9条戦争放棄条項が邪魔だったからにほかならない。今日の「集団的自衛権行使」と「自主憲法制定」と「国防軍」のセットも同じ意味である。