苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神は笑った

サラは言った。「神は私を笑われました。」(創世記21:6)

 主がふたりのみ使いとともにアブラハムとサラのもとにやって来て、サラは男の子を生むと約束をしてくださってから、激動の日々だった。甥のロトが住むソドムの町は、天からの火と硫黄によって焼き滅ぼされてしまい、アブラハムは身の危険を感じたのであろう、一族を率いてネゲブへと引っ越した。引っ越した先で、サラは90歳にもなっておとろえを知らぬ美貌ゆえに、その地の領主に召し上げられてしまうが、すんでのところで神が介入して彼女は守られた。ソドムの事件以来、虚無的になっていたアブラハムだったが、それでも神の選びは変わらないことを悟らされる出来事があった。こうしたことを経て、アブラハムとサラはもう一度、神は生きておられるという信仰を得て希望をもって夫婦の交わりをして、サラは懐妊したのだった。日に日に大きくなってゆく自分のおなかをさすりながら、彼女は、若い日から産まず女としての悲しみの涙をどれだけ流してきたことを振り返る。そして、確かに主は生きておられるのだとかみしめる。
 いよいよイサクが生まれると、アブラハムとサラは、その子にイサクすなわち「彼は笑う」と名付けた。「彼」とは誰だろう。「彼」とは神である。神が笑われたのである。人間の知恵、人間の限界、人間の疑い、人間の失望、人間の諦めに対して、神は笑われた。「どうだ、あなたたちは疑ったけれど、わたしは約束したことを確かに守っただろう。ワッハッハ」と。