これらの出来事ののち、神はアブラハムを試練にあわせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの山に行きなさい。そしえわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22章1,2節)
アブラハムの生涯は試練に満ちているように思うが、彼の生涯の記述のなかで試練ということばが用いられているのは、この一か所。(ただし原語までは調べていません。)ここにおける試練とは、神の命令と神の約束が、少なくとも人間の理性にとっては正面衝突してしまっているという事態である。神はアブラハムとサラから出たひとり子イサクが、彼の相続人となり、彼から星の数ほどの子々孫々が出てくると約束された。しかし、今、神はアブラハムにイサクを全焼のいけにえとしてささげよとおっしゃる。
アブラハムはどう応じたのか。神の約束は信じ、かつ、命令には従ったのだった。