イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスにしたがった。そこでレビは、自分の家でイエスのためにおおぶるまいをしたが・・・(ルカ5章27−29節)
イエス様に出会い、イエス様に召していただくと、人は何もかも捨てて立ち上がってしまいます。そして、ドケチの守銭奴であった男が、今は手を開いて、大振る舞いをするようになるのです。主を知った喜びのせいです。今までしがみついていたものが、主を知るという宝の前では糞土と化してしまいます。
今も、昔も、主イエスのみわざは同じように続いています。それを、伝道者として見て来ました。
誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5章17節)