苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

小海から苫小牧へ

苫小牧からです。
しばらく間があきましたが、数時間前自宅にインターネット環境がようやく整い、初投稿です。
みなさん、本日、4月4日誕生日のお祝いをありがとうございます。58歳になりました。精神的、霊的には未熟なままですが、肉体だけは以前のようにはいつも快調というわけには行かない年齢での、再スタートとなります。

小海を発つときは、教会の兄弟姉妹で都合の付くかたたちと近所の方たちが見送りに来てくださって、記念写真をパチリ。

行く春や鳥啼き魚の目はなみだ

小海から茨城県大洗港までは北関東自動車道。大洗では、山口陽一先生が送りに来てくださって、お魚をごちそうになりました。神学校の同期生で、「日本福音土着化祈祷会『葦原』」の友です。
フェリーは、「さんふらわあ北海道」という商船三井の大きな船で、中は昭和レトロでした。海は鏡のようというほどではありませんが、穏やかで、午後6時半に出向し、翌日午後1時半、苫小牧に到着しました。この船旅おもしろいので、おすすめです。

苫小牧港には、教会の役員さんたちが手を振って出迎えてくださいました。これまた感激でした。
苫小牧福音教会には牧師館はないので、家内も私も初のアパート住まいです。どんな感じなのかなあと思っていましたが、鉄筋コンクリート3階建ての2階で上下左右が囲まれているので、とても暖かくて静かで、快適です。築40年ですが、きれいにリフォームされています。
土曜日、引越し荷物が届いて、てんやわんやで寝る場所をつくって、一夜明けて、昨日は苫小牧福音教会で最初の主日礼拝でした。朝はマルコ福音書連続説教スタートして、夕は創世記をスタートです。熱心に聴いてくださる兄弟姉妹がいるので、ありがたいことです。午後は役員会があり、てんこもりの課題で、アップアップでした。週の後半疲れが出て、体温調整がうまく行かなくなって汗ばっかりかいてがぶがぶ水を飲んでいましたが、役員会後、ダウンして、2時間ほど横になって栄養剤を飲んで夕礼拝でした。夕礼拝でみなさんとみことばを味わい、賛美をしたら、元気が出てきました。
 そして今朝、月曜日。朝から片付けで、ようやく自宅は部分的に部屋らしくなってきました。そしてネット開通です。

みなさん、お祈りを感謝します。寄る年波を感じつつ、新しいスタートを切った私どもが、苫小牧17万市民の救いのために、また、北海道聖書学院でのご奉仕のために、お役に立てるようにお祈りくださればほんとうにありがたいです。

『小海キリスト教会牧師所感』は改称しようと思いますが、まだ、何にしようか検討中。『〜教会牧師所感』とするか、小林旭ふうに『北の港町の牧師所感』とか、はたまた、『モリアオガエル牧師所感』とか・・。う〜ん。



<船の中で「幌馬車」を思い出した>
小海キリスト教会の兄弟姉妹と近所の人たちに見送られて、荷物を満載したセレナに乗って国道141号を北に向かって走っていると、一つの歌が脳裏に浮かんできた。

あの町 この町を
きょうまた 後にして
走れよ 元気よく
みんなが 待っている
希望を載せて 馬車はゆく
はるかな ふるさとを
夢見て 走れば
苦労など なんでもない

確か、幌馬車という歌であると思う。小学校のころ音楽の教科書に出てきた歌ではなかったろうか。それとも、兄か姉が口ずさんでいた歌だろうか。幌馬車に家財道具いっさいを載せて、まだ見ぬ地へと旅をしていく西部開拓者家族の歌である。その先に何が待ち受けているかわからないけれど、夢に向かって進んでいく家族。今の時代から、米国先住民たちの住む環境を盗み取ったのだという批判がされたりするのは、まあ理屈ではあるが、今は西部開拓に向かった当時の人々の勇気をすごいことだなあと思う。
 大洗に着き、船に乗ってからも頭の中に「幌馬車」が浮かんできた。そうして、船に乗って翌朝になって、歌詞が全部浮かび出た。味わってみると、これは実は天国への旅路としての歌なのではなかろうかと思えてきた。「はるかなふるさと」とは天の御国を意味していると思われてならない。幌馬車とは、神の家族が乗っている教会のことである。