苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

主の恐るべき真実

26:44それにもかかわらず、なおわたしは彼らが敵の国におるとき、彼らを捨てず、また忌みきらわず、彼らを滅ぼし尽さず、彼らと結んだわたしの契約を破ることをしないであろう。わたしは彼らの神、主だからである。 26:45わたしは彼らの先祖たちと結んだ契約を彼らのために思い起すであろう。彼らはわたしがその神となるために国々の人の目の前で、エジプトの地から導き出した者である。わたしは主である』」。
                    レビ記26章44,45節


 イスラエルが偶像礼拝にふけり、みなしごやもめの訴えは裁きに取り上げられることもない不公正な社会となり、おのれの手のわざに頼む傲慢に陥る時、神は手を換え品を換えてきびしく警告を与える。それでも、彼らが悔い改めないばあい、最終的には彼らは約束の地から引き抜かれて敵国へと連れ去られることになる。
 だが、「それにもかかわらず」と主は言われる。それにもかかわらず、主は、御自分の民を捨てず、忌み嫌わず、滅ぼし尽くさず、契約を破らないとおっしゃる。主のご自分の結んだ契約に対する真実は、何があろうとも、またその民の不真実にもかかわらず、揺るぐことがない。それは、けっして安易な意味ではないのだが。
 ひとたび主に捕らえられた身としては、抵抗したり逃げ回ったりするのはやめて、素直にしたがっていくのが身のため。そう、つくづく思わされる恐るべき主の真実。レビ記26章。