『讃美歌』のむずかしさは、その用語が耳慣れないことが一つの理由です。礼拝の定番である第二番はその代表選手かもしれません。
1
いざやともに こえうちあげて
奇しきみわざ ほめうたわまし
つくりましし あめつちみな
かみによりて よろこびあり
2
母のむねに ありしときより
わがふむみち さきわいたもう
いまものちも あだをふせぎ
世のわざわい のぞきたまわん
3
まよいを去り やすきをあたえ
つねにめぐみ なぐさめたもう
父なるかみ み子 みたまに
代々(よよ)みいつと みさかえあれ
「うさぎおいしかの山」が「うさしが美味のあの山」ではなく、「うさぎを追ったあの山」であるように、「つくりまししあめつち(天地)」は「お造りになった天地」という意味であり、「母の胸にありし時より」は「母の胸にいたときから」という意味です。つまり、「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。
次に、「さきわいたもう」とは何でしょう。「さきわう」の語根は、「咲く」「栄える」「盛り」などと同じsakで、成長の働きが頂点に達して、外に開くことを表すそうです(大野晋)。だから、「さきわう」とは幸せにするという意味です。二節は、私たちが赤ん坊のときから、神様は人生の旅路に花を咲かせ、栄えさせてくださることを感謝しています。
ところで、「みいつ」とはなんでしょう。三位一体、三一と誤解している方が結構いるようです。けれども、私の母に聞くと、「そんなの私らの世代なら誰でも知っとるよ」と言って正解をさらりと言ってのけました。「みいつ(みいづ)」は非常に古い古語なのですが、明治維新の王政復古から敗戦まで国家神道でもてはやされたことがあるからです。『広辞苑』によれば、「みいつ(みいづ)」とは、「いつ」の尊敬語。天皇・神などの威光、強いご威勢・漢字では「御稜威」と書きます。なるほど、教育勅語・御真影・君が代で教育された世代には、忘れたくても忘れられない言葉でしょう。