苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン12月25日   賛美と楽器と踊り

1歴代13:8
<口語訳>
ダビデおよびすべてのイスラエルは歌と琴と立琴と、手鼓と、シンバルと、ラッパをもって、力をきわめて神の前に踊った。

<新改訳>
ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、神の前で力の限り喜び踊った。

<新共同訳>
ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた。

 神の箱を運ぼうという時、ダビデイスラエルの民が大いなる賛美をささげた場面。このあとウザのでしゃばり事件が生じてミソがついてしまうのだが、それはそれとして。
 ヨーロッパ・アメリカ経由の伝統的キリスト教は、静かで洗練された音楽のありようが正統とされてきた。カトリック無伴奏のグレゴリアン・チャントとか、ルター派は楽器をもちいてもオルガンのみでコラールとかいう伝統が相当長くあった。私が洗礼を受けた改革長老教会の伝統では公礼拝では無伴奏詩篇歌のみを用いている。私は今も詩篇歌を好み、教会でも紹介しているが、「タンバリンと踊りで、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。」(詩篇150)という詩篇を歌うのに、無伴奏でなければならぬと規定するのは、失礼ながらナンセンスと思われる。全身全霊をもってする賛美に踊りやもろもろの楽器がともなうことはあってよいことであると思う。