苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

賛美歌のかんたん文語文法4  「あめつちの」

 讃美歌に頻出するわかりにくい古語を思いつくまま少しだけメモしておきます。
 「あめつち」は「雨土」ではなく「天地」の意味。「天地の御神をばほめまつれ 人の子よ」(讃美歌3)と歌います。
 「あまつ」は「天の」。「つ」は古い格助詞で、「の」という意味。百人一首に「あまつかぜ くものかよひじ・・・」とありますね。「あまつ真清水 流れ来て あまねく世をぞうるおせる」と歌います。「天の真清水」ということですから、聖霊を意味するのでしょう。また、「あまつ御使いよ イエスの御名の・・・」と歌うのは、「天の使いよ・・・」という意味です。
 「いもせ」でいう「いも」は芋でなく「妹」。妻の意味です。「せ」は「背」と書き「夫」という意味。「いもせ」は「妹背」と書いて、夫婦の意味。「妹背をちぎる家のうち わが主もともにいたまいて」は結婚式の賛美歌の定番で、「夫婦のちぎりを交わす家の中に、わが主もともにいらしてくださって・・・」という意味です。
 「みうせし主」は「身失せし主」、つまり、「死なれた主」の意味。新聖歌49、399、515では、「見失せ」と書かれているのはまちがいです。主は私たちの罪のために見失われたのではなく、死んでくださいました。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。
 「みいつ」は御威光。これも古いことば。「主のみいつとみさかえとを 声のかぎりたたえて」(讃美歌7)という「みいつ」を三位一体と誤解してはいけません。
 「ひとや」は牢屋、人を閉じ込めておく家屋です。クリスマス賛美「もろびとこぞりて」で「悪魔のひとやを打ち砕きて 虜を放つと♪」は「悪魔の牢屋を打ち砕い、虜を放つ」で意味が通じます。
 「こは我がため」=「これは私のため」。ある集会で、新聖歌49番の歌詞が、2節で「子はわがため十字の上に釘もて裂かれしみからだなり」とありました。まちがいです。「こは」は「これは」という意味です。古語では「こ」だけで代名詞です。
 新聖歌には難解語彙に脚注がふえてよかったと思います。ただし、散見される誤りを増刷するときに訂正していただきたいものです。
 一応、「賛美歌のかんたん古典文法」はこれでおしまい。