士師記5:3
もろもろの王よ聽けもろもろの伯よ耳をかたぶけよ
我はそのヱホバに謳はん我はイスラエルの神ヱホバを讚へん(文語訳)もろもろの王よ聞け、もろもろの君よ、耳を傾けよ。
わたしは主に向かって歌おう、
わたしはイスラエルの神、主をほめたたえよう。(口語訳)聞け、王たちよ。耳を傾けよ、君主たちよ。
私は【主】に向かって歌う。
イスラエルの神、【主】にほめ歌を歌う。(新改訳)もろもろの王よ、聞け君主らよ、耳を傾けよ。わたしは主に向かって歌う。イスラエルの神、主に向かってわたしは賛美の歌をうたう。(新共同訳)
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今年1月から、初めてローズンゲンを用いるようになった。ローズンゲンは旧約の多くの聖句札を、「くじ引き」したものだそうである。ここまで読んできてわかったのは、詩篇や預言書の一句が多く、歴史書からは少ない傾向があるということ。ある聖句を黙想するというと、その一句がだけで意味が完結していないとやりにくいからなのだろう。完結していないと、「聖句札」として意味をなさないからだろう。本日のローズンゲンは、珍しく歴史書である士師記だが、とりあげられたのは、やはり詩文。
カナンの地は大昔から戦が絶えない。士師である女預言者デボラとバラクが、イスラエルを20年にわたって圧迫していたカナンの王ヤビンとその将軍シセラに対する戦いに勝利を得たときの歌。ヤビンが誇りとした九百両の戦車を従えた大将軍の最期は、ひとりの女性に隙を見せてしてやられてしまうというあっけないものだった。指導者は女預言者デボラ、敵にとどめを刺したのもまた市井の女性ヤエルというのが、この戦いの特徴だった。
戦いに勝利して戦勝の歌を歌う。それが、野球やサッカーの試合、あるいは、裁判闘争の勝訴のときというのは共感しやすいのだが、多くの人の血が流されその戦闘員たちの残された家族がいることなど考えると共感しにくいというのが、戦後70年という時代を生きてきた自分としては正直なところ。そして、「あなたの敵を愛せよ」と命じ、敵のために十字架で死なれた主を知る新約の時代の信徒として、なおのことそうである。
ただ、勝利・成功を得たとき、それをわが誉れとするのではなく、主に栄光をお返しするということが肝要ということを学んでおきたい。良いことがあると、すぐにその栄光を私しがちな愚か者の自分としては。