苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月27日  あらゆるときに主を賛美

詩篇34編1節
口語訳
わたしは常に主をほめまつる。
そのさんびはわたしの口に絶えない。


新改訳
私はあらゆる時に【主】をほめたたえる。
 私の口には、いつも、主への賛美がある。


新共同訳
どのようなときも、わたしは主をたたえ、
わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。(詩編34章2節)

 表題に「ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌」とある。これを見ると、この一節の「常に」「あらゆる時に」「どのようなときも」という表現の本気度がわかる。第一サムエル21章によると、彼はサウル王にいのちをつけねらわれて、サウルの敵であるガテの王アキシュのもとに逃れた。(詩篇にはアキシュでなく「アビメレク」とあるが、どうもアビメレクというのは、この地の異国の王を呼ぶ一般名詞だったようにも思える。あちこちにアビメレクというのが出てくる。その名の意味はわが父なる王か)そのとき、アキシュの家来たちはダビデを迎えることは、鬼が一寸法師を飲み込むようなものだと警告し、ダビデを捕縛した。そこでダビデは気が狂った迫真の芝居を打った。

21:13 それでダビデは彼らの前で気違いを装い、捕えられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。21:14 アキシュは家来たちに言った。「おい、おまえたちも見るように、この男は気違いだ。なぜ、私のところに連れて来たのか。21:15 私が気違いでもほしいというのか。私の前で狂っているのを見せるために、この男を連れて来たのか。この男を私の家に入れようとでもいうのか。」

 ヒゲによだれをたらしてでも、わが命を守らねばならないほどの危険きわまりない状況。惨めな状況。その中でも、主を讃美する。ならば、今日この青空の朝、私も主を賛美しないでおられようか。

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」ヤコブの手紙5章13節