1.
神はわがやぐらわがつよき盾
苦しめるときの近きたすけぞ
おのが力おのが知恵を
たのみとせる
陰府の長もなどおそるべき
2.
いかに強くともいかでか頼まん
やがては朽つべき人のちからを
われと共に戦いたもう
イェス君こそ
万軍の主なるあまつ大神
3.
あくま世にみちてよしおどすとも
かみの真理こそわがうちにあれ
陰府の長よほえ猛りて
迫り来とも
主のさばきは汝がうえにあり
4.
暗きのちからのよし防ぐとも
主のみことばこそ進みにすすめ
わが命もわがたからも
とらばとりね
神の国はなおわれにあり
(賛美歌267番)
この賛美歌を私人ハイネは「宗教改革のラ・マルセイエーズ」と名づけたそうです。堕落しきった当時のローマ教皇を「陰府の長」に見立てて、会衆が声合わせて勇ましく歌うこの賛美歌は、「聖書のみ」「恩寵のみ」「信仰のみ」という旗を掲げた改革者ルターの雄たけびです。
「おのが力おのが知恵をたのみとせる陰府の長」とか「いかに強くともいかでか頼まん やがては朽つべき人の力を」といった歌詞には、神人協力説を唱える教皇庁に対して、ただ神の恵みのみで、信仰によって義とされたという「恩寵のみ」の原理がうかがえます。
また、「神の真理(まこと)こそわがうちにあれ」「主のみことばこそ進みに進め」という係り結びによる強調によって、聖書の真理をないがしろにするローマの「伝統」に対して、「聖書のみ」という原理が高らかに謳われていることがわかるでしょう。
言い回しでわかりにくいかもしれないのは、「よし〜とも」でしょうか。「よし脅すとも」は「かりに脅すとしても」の意味です。
ところで、この賛美歌は歌詞改訂で話題になりました。4節「わが宝も取らば取りね」とあるのは、もともと「わが妻子(Kind und Weib)も取らば取りね」でした。「ね」は確述の助動詞「ぬ」の命令形です。「もし取るなら取っちまえ」です。これは妻子を夫の所有とする封建制の名残という批判があったからでしょうか、「宝」に置き換えられました。けれども、聖職者不妻帯という異教的禁欲賛美の制度に対して、聖書の教えに立ち返って結婚を尊重し、自ら妻帯に踏み切ったルターなればこそ、「わが妻子も」です。彼は言いました。「私は妻ケーテを、フランス王国やベニスの主権よりも尊いと思う。」ルターにとって至宝である妻子であればこそ、「取らば取りね」に重みがあります。ちなみに聖歌233番ではもとの歌詞のとおり「妻も子らも」と訳されています。