2テモテ3:14−17、ローマ1:16,17、3:19−24
恩寵のみ・信仰のみ・聖書のみ
2017年9月23日 JECA北海道聖会 第1回メッセージ
はじめに
ご紹介にあずかりました、日本同盟キリスト教団苫小牧福音教会牧師水草修治と申します。このたびは、この宗教改革500年の記念の年、皆さんの大切な集会にご奉仕にお招きいただき、光栄に思っております。小さな土の器ですが、主のご栄光のためにご奉仕させていただきます。
宗教改革の年に聖書信仰というテーマですし、通常よりも、長めの時間をいただいておりますから、通常の聖書の解き明かしとしての説教とともに、宗教改革における「聖書のみ、恵みのみ・信仰のみ」というスローガンとその背景の歴史についても紹介したいと思っております。
序.人格を通して聖書への信仰を
「3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(2テモテ3:14−17)
お読みした最初の箇所は、使徒パウロが愛するわが子とまで呼んだエペソ教会の牧師テモテに対してあてた手紙の一部です。しかも、4章6,7節に見るように、パウロはこの手紙が絶筆となることを意識して獄中で書いたものでした。
「4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」
エペソ教会の牧師テモテに対して、パウロはこの手紙でさまざまの牧会上のアドバイスをしてきたうえで、ここで聖書こそが、「キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせ」(15節)かつ、神の人として彼が「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となる」(17節)と教えます。つまり、まず、あなたに救いを与え、次に、御霊の実(キリスト的品性)を結ばせるのは、聖書なのだと語っているのです。神学的なことばを使えば、まず、義とし子とし、そして、聖化の実をむすばせるのは聖書なのだ、ということです。
この聖書に対する信仰をテモテはどのようにして得たのでしょうか。テモテが研究の末に得たのでしょうか。あるいはダマスコ途上で撃たれたパウロのように、天からの直接の啓示によったのでしょうか。そうではありませんでした。テモテはこの信仰をごく幼い日から祖母ロイスと母ユニケから受け取ったのです(1章5節)。
「1:5 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」
おばあちゃんとお母さんが、神のことばに信頼しきって祈りつつ生きるその姿を通して、テモテは純粋な聖書に根差した信仰を受け取ったのでした。信仰は、無論、神からのたまものですが、神は多くの場合、敬虔な人格を通して、その信仰を継承させることを好まれます。三位一体の神は愛の交わりの人格的神ですから、信仰の継承も人格的な交わりによってなされることを好まれるのです。
私は高校三年生の秋、身近な人の突然の死という出来事をきっかけとして自分の罪、人生の目的ということを考えざるを得なくなりました。なんのために大学になど行こうとしているのか、何のために生きていくのか・・・と。考えてみれば、結局は単なる自己満足のためという答えしか思いつかず、生きるということは、なんとむなしいことだろうと思いいたりました。浪人生活が始まり、クリスチャンの友人の紹介で10ほどの質問をもって増永俊雄牧師と会うことになりました。
増永牧師にお目にかかって、二つ印象に残ったことがありました。第一は、私が魔女狩りだとか十字軍だとかの恐るべき罪について、どう考えているのか?という詰問したことに対して、先生は「その通り、私どもはそれほどに罪深いものです、ただ神の前に罪を認めて告白する以外ありません。」とおっしゃったことです。
第二は、私が用意していった質問に対して、先生はことごとく「聖書にこう書いてあります」と答えたり、「聖書に書かれていないことなので、わかりません」とおっしゃったことです。私は内心「この人は自分の意見というものがないのか」と半ば呆れながらも、「この人は本当に聖書が神のことばであると信じているのだ」という強い印象を受け取りました。私はこのようにして、「聖書は神のことばである」という信仰を増永俊雄牧師から受け取ったのです。あれから40年近くたちましたが、聖書を何度読み返したか数えられませんが、私は今日に至るまで聖書は一言一句神のことばであるという信仰を、受け取ることができたことは素晴らしい宝だった、と心から感謝しています。
聖書信仰というのは、単なる形式上の信仰箇条ではなく、神を信じるキリスト者の人格とその生き方を通して、いのちあるものとして継承されるものです。父と子と聖霊である三位一体の神は、愛の人格でいらっしゃるので、敬虔な人格とのふれあいを通して、信仰が伝えられることを望まれるのです。みことばを信じ、みことばを生きる人との出会いを通して、聖書はほんとうに神の言葉なのだという真理が伝えられるのです。
II 恩寵のみ、聖書のみ
さて、私たちは今日、自分用の聖書を何冊も所有し、いつでもそれを母国語で読むことができる環境にあります。また、教会に出かければ聖書の解き明かしを日本語で訓練された説教者によって聞くことができます。しかし、これは決して当たり前のことではありません。2000年間の教会の歴史の中で、信徒一人ひとりが自分で教会に出かけて母国語の聖書を閲覧できるようになり、自分の国のことばで解き明かしを聞き、さらに個人的に所有までもできるように実際的になってそれほど時間がたったわけではありません。そのようになった発端としての出来事がマルチン・ルターによって始まった宗教改革です。ドイツ宗教改革のスローガンは「恵みのみ(信仰のみ)」「聖書のみ」ということでした。これから、その経緯を例話としつつ、ローマローマ1:16,17、3:19−24の解き明かしをします。
1.中世ローマ教会の悲惨
(1)教会で聖書が忘れられる
宗教改革について語るには、どうしてもマルチン・ルターその人について語らなければなりません。宗教改革においても、神のみことばの真理は、やはり人格を通して明らかにされたのです。神はマルチン・ルターという強烈な個性の霊的経験を通して、聖書に啓示されながら千年間も曇らされていた信仰義認の教理を再発見させたからです。
まずこのルターの時代のカトリック教会の悲惨な状況をお話ししましょう。キリスト教会の二千年の歴史をおおざっぱに区切りますと、まず1世紀から5世紀までが古カトリック教会時代と呼ばれます。この時代、教会は帝国の迫害下にありましたが、教父たちによって聖書が読まれ、豊かに解き明かされ、正統的教理を確立しました。
次の6世紀から紀元後15世紀の1000年間は中世カトリック教会と呼ばれます。キリスト教会は帝国の国教とされて、政府と対峙するほどの権力と富と名誉をもつようになります。ゲルマン民族が入り込んでフランス、イギリス、ドイツ、イタリアといった国々の原型ができてきますが、それぞれの地域でもキリスト教は国家宗教の地位を保っていました。しかし、富と権力と名誉を持つようになった教会は堕落していきます。権力者は教会の力を利用して、ローマ教皇に誰がなるかということに権力者は権謀術数をめぐらせるようになっていきます。
この中世には、教会では聖書が読まれなくなって行きます。当時、権威ある聖書はらラテン語訳聖書ウルガタでした。古代においてはラテン語は日常語でしたから、会衆は問題なく聖書を理解し儀式のことばも理解することができました。ところが、ローマ帝国が崩壊してヨーロッパ大陸にいくつもの国が生まれ、それぞれの国で特有の言語ができあがってゆくと、ラテン語はただ学者や聖職者のみが理解することができる言葉となっていきます。礼拝のすべては一般人では理解できないラテン語で行われます。この中世においては、礼拝の中心は、聖書の説教でなく、ミサという迷信化した儀式となっていきました。こうした状況は、1960年代までカトリック教会で続きます。
(2)神人協働説
中世教会の教えの根本的特徴は、救いは神と人が協力して働いて救いというものは成り立つのだという考えです。神人協動説と呼ばれます。神様の恵みが90パーセントに人間のわざ10パーセントで、救いが成り立つという風なことです。
ローマ教会では、救いの確信をもってはいけない、それは思い上がりであると教えますが、その背景には神人協働説があります。カトリックの教えでは、神に背を向けた極悪人死後、地獄に直行して出てこられません。では、天国に直行するのはだれかといえば、聖母マリア、聖人たちだけであり、ほとんどのクリスチャンは死後、天国に直行できず、煉獄に落とされるのだと教えました。むかし、ヨーロッパに出かけるとき、直接飛行機で行けず、アンカレジ経由で行きましたが、カトリックでは煉獄経由でしか天国には行けないというのです。では煉獄で何をするかといえば、煉獄という文字が示すように、火の試練でさんざん苦しんで罪の償いを済ませたならば、天国に入ることができると教えます。神の恵みが90パーセントあっても、人間の行ないが10パーセント不可欠だとすると、人はこの世と煉獄で自分の罪の償いをしなければならないということになります。
でも、なかなか俗世に生きる一般クリスチャンたちは、自分で努力して罪の償いができません。そこで、教会から、マリヤやペテロをはじめとする聖人たちが積み上げたありあまる功徳を買うことによって、煉獄での償いを免じていただくことができるという嘘を教えました。もちろん、こんな教えの根拠は聖書に何の根拠もありません。これが免償つまり、償いを免じるという教えです。昔免罪符といいましたが、免償状といったほうが正確です。生前の生き方において罪が残っていて、煉獄に落ちたならば、その償いとして煉獄で苦しまねばならないけれど、遺族が死んだ人のために免償状をお金で買うことによって補うことができるというのでした。そのお金は聖ペテロ寺院建設資金となるというものでした。 以上がルターが立ち上がった時代のキリスト教世界の風景です。
2 恩寵のみ
(1)きまじめな修道士
さて1483年、ドイツのマンスフェルトで、マルチン・ルターは父ハンス・ルターの次男として生まれました。父ハンスの教育方針はドイツ人らしい峻厳なもので、ルターを悩ませた峻厳な神のイメージはこの父親の落とした影ではないかと言われます。父ハンスは鉱山夫から身を起こして坑山の所有者となっていた人物で、自分の息子には学問と名誉を手に入れさせたいと考えました。それで、マルチンをエルフルト大学文学部(現在の教養課程にあたる)に進ませます。
エルフルト大学で学んだルターは、卒業間近に、同級生が試験中に急性肋膜炎で急死するという経験をしました。このとき、ルターは死の恐怖を体験し、自分自身も厳格な聖なる審判者である神の前に立たねばならないことを意識するようになりました。 やがて、マルチンは文学部を終えて彼は父の命令にしたがって法学部に入りました。当時、身分制度社会のなかで法律家になることは庶民の出世のための登竜門であったからです。
ところが、神にはルターについて別の計画がありました。法学部にはいった直後、ルターは故郷のマンスフェルトからエルフルトに戻る途中、激しい落雷に見舞われます。彼は死の恐怖におののき、「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります。」と修道士として自分の身を捧げる誓いを立ててしまいました。こうしてマルチンは父の期待に背いて、アウグスティヌス会の修道院に入ってしまうのです。落雷に打たれたルターが神、キリストにではなく、聖アンナに向かって祈ったというのは、ルターも中世の迷信に縛られていたことを示しています。
さて修道士となったルターはきわめて謹厳な修道士でした。ルター自身が後年、述懐するところによれば、「ほんとうのところ、私は敬虔な修道士であった。私は非常に厳格に修道会の戒律を守ったので、次のように言うことができる。『もしこれまでひとりの修道士でも修道士生活によって天国に入ったのなら、私もそこに入れるだろう。』と。私を知っているすべての修道士仲間は、そのことを証言してくれるだろう。なぜなら、もっと長く続いていたなら、私は徹夜、祈り、朗読、その他の務めで自らを苦しめさいなみ、そのため死んでしまっていたことだろうから。」
しかし、彼が修道に徹して知ったことは、いかに苦行を重ねても霊魂の汚れを決してきよめることはできないという事実でした。
やがて、ルターは資格を得てミサにおける儀式文を朗読する務めを果たさねばならない立場になりました。ミサについては厳格なルールがありました。祭服は正しく着なければならない。儀式文の朗読は低い声で口ごもらず、正確でなければならない。司祭の魂の状態は正しくなければならない。祭壇に近づく前に司祭はすべての罪をざんげして赦免を受けなければならない。ルターは恐れおののきました。自分は魂の汚れたものである。もしこのままミサをささげたならば、ちょうどあのウジヤ王が、祭壇でささげものをしたときのように、神に打たれ額にツァラアトが現れたように、自分も神に打たれるのではないだろう、と。
自分で罪を清めることができないので、ルターは同僚の修道士に自分の生まれてこのかた犯してきた罪を思い出すかぎり洗いざらい懺悔しました。これを痛悔と言います。彼は一日に何度も懺悔しましたし、いちどきに6時間も続けて懺悔したそうです。ゆるしてもらわなければならない罪を、記憶をくまなくさがして告白します。くまなく告白して立ち上がると、告白し忘れていた罪を思い出し、また告白するのです。聴聞司祭は疲れ果てて、叫んだそうです。「おい、君よ。神はおまえに怒ってはおられない。君が神に怒っているのだ。神が希望をもてと君に銘じておられるのを、君は知らないのか。」
人間はしばしば自分の犯した罪を忘れます。それどころか、良心の呵責すら感じないで罪を犯すのです。ルターのことばに、「アダムと女は禁断の木の実からとって食べるという罪を犯しながら、それも忘れて平気でエデンの園で夕涼みしていることができたではないか。」「ヨナは主のご命令に背きながら、船倉で熟睡していたではないか。」というのがあったと記憶します。
痛悔をしてみて、さらに彼は恐ろしい自分の罪を知ることになります。痛悔とは洗礼後に犯した罪が赦されるために設けられたローマ教会の秘蹟ですが、痛悔には完全痛悔と不完全痛悔があるとされます。
完全痛悔とは、「父である神と救い主イエス・キリストを愛する心から、その愛に背き、その恩を無視したという理由から、犯した罪を悔やみ、忌み嫌う」ことであり、完全痛悔する者のみが神に罪を赦していただけるのです。
他方、不完全な痛悔とは「罪を罰する神の正義を考え、地獄、煉獄、この世における神の罰を恐れて、犯した罪を悔やみ、忌み嫌うこと」です(『カトリック要理』)。不完全な痛悔では神と和解することはできない、とされるのです。
ルターは不完全な痛悔に陥ってにっちもさっちもいかなくなってしまいます。というのは、ルターは神の正義と神の下す罰にふるえおののいていたからです。ルターは、自分が神を信じるといっているのは、煉獄の罰から救われたいという動機からにすぎず、神を愛し、罪を憎んでいるからではありませんでした。自分は自己追求という罪によって汚れており、この自己追求こそ罪の根源でした。そして、どんなに苦行しても自己追求という罪から逃れることができない醜い自己に絶望したのでした。まさにローマ書3章19−20節のいうとおりです。
「3:19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。 3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」
(2)エラスムスが卵を産み、ルターがかえした
ルターはいかなる意味でも、自力救済の道は閉ざされていることを認めました。悩むルターは、人に勧められてヴィッテンベルク大学の一角の塔の一室で聖書の研究を始めます。
聖書を読むことは、現代では私たちプロテスタントのキリスト者にとってあまりにも当たり前の習慣でしょう。しかし、当時のローマ教会では修道士でさえも、聖書を読むことは当たり前のことではありませんでした。
先に申し上げたように、古カトリック教会の時代には教会は聖書に取り組んで、教父たちは豊かな聖書講解や注解が残されていますが、中世に入りますと教会の礼拝の中心はミサを中心とする儀式にあずかることになっていきます。
しかし、やがてルネサンスが始まります。ルネサンス運動は、ギリシャ、ローマの芸術や文学や思想に素晴らしいものがあったのだということを発見し、その復興を志します。その中でそして、その古代の文学や思想を正確に知るために、ギリシャ語やラテン語で原典を読む運動が始まりました。こういう学問を身に着けた人々をフマニストと呼びます。現代いうヒューマニズムとは意味がちがいます。人間の人間たるゆえんはことばを操ることである。だから、古典を正確に読むことによって、人間を復興できると考えるのです。ですから、フマニストは人文主義者と訳します。
ルターの時代、ヨーロッパ世界随一のフマニストがエラスムスでした。エラスムスは新約聖書のギリシャ語の校訂版を作ったのでした。ルターはエラスムスによる校訂ギリシャ語聖書の第二版を読み、そこに福音を発見したのです。宗教改革について、「エラスムスが卵を産み、ルターがそれをかえした」と言われる所以です。
(3)「恵みのみ」sola gratiaの発見
ところが、ローマ書を研究しはじめたルターは、すぐにその一章十七節につまづいてしまいました。「神の義は、その福音のなかに啓示されている。」
ルターはこの「神の義」とは、神が正義であり、その義によって罪人を罰する義であると考えました。神は、律法を行うことができずにうちひしがれている罪人を、福音のうちに啓示される義によってさらに苦しめていると彼は誤解したのです。ルターは後年、次のように言っています。
「私は義にして罪人を罰する神を愛さず、むしろ神を憎んでいた。なぜならば、私は非の打ち所のない修道士として生きて来たにもかかわらず、神の前で自分が良心の不安におののく罪人であると感じ、私の償罪の行いによって神と和解していると信じることができなかったからである。」
しかし、やがて聖霊はルターに福音の真理を明らかにされました。すなわち、ローマ書にいう「神の義」とは、正義の神が罪人をさばく義でなくて、神が罪人にお与えになる贈り物としての義であると悟ったのです。ローマ書3章21−24節にあるとおりです。
「 3:21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。 3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
ルターは言います。「神の義は、この方が義である義ではなく、われわれがこの方により義とされる義と解されねばならない。」(「ローマ書」)神は、罪人がいかに修業しようと自分を義とできないので、キリストの義を贈り物として与えてくださったのです。これが、人は行いによらず信仰によって義とされるという使徒パウロの福音の発見、「恩寵のみ」という宗教改革の原理でした。
その恩寵を受け取るのが、乞食の空っぽの手としての信仰です。それで、「恩寵のみ」と「信仰のみ」は同じことを意味しています。救いは、神の恵みと、人間のわざとがともに働いて成し遂げられると教えていたローマ教会に対して、いや、救いはただ神の恵みによって成し遂げられるのである。人間はただその恵みを、乞食のように空っぽの手でありがとうございますと受け取るのみであるということです。
「恩寵のみsola gratia、信仰のみsola fide」です。
3 「聖書のみ」・・・宗教改革へ
当時、ローマ教会は聖ペテロ寺院改築のために免償状を売り出していました。ローマ教会では、クリスチャンとは言っても、聖母マリヤや聖人しか死後天国に直行することはできず、ほとんどのクリスチャンは煉獄に落ちると教えました。そして、煉獄の苦しみを減らしてもらうには、教会から免償状を買えばよいと教えたのです。免償状説教者は、「免償状を買う者の金がチャリンと献金箱の中に落ちるとき、その者のあらゆる罪は赦され、さらに煉獄で苦しんでいるその人の親も罪赦されて天国へと移される」と説いていたのです。日本風にいえば、追善供養です。
1517年10月31日。ルターはこれに抗議して、「九十五か条の提題」を発表しました。彼としては宗教改革など起こすつもりはなく、ただ神の御前における罪が免償状を買うという安易な行ないによって赦されるという教えは、魂を永遠の滅びに陥れる危険なものであるとして、抗議をしたのです。彼がいいたかったことは、
<人は免償状を買って、「神に罪赦された、平安だ」と思った瞬間、滅びてしまう。逆に、人は自らは神の御前に滅ぶべき罪人であると恐怖しておののくときにこそ、ただキリストのうちに贈与としての義を見いだす道が開かれる。>という、ルター自身が体験し聖書に見出した福音の真理でした。
ルターは、ただ聖書の博士として教会の教えを正したいと思ったにすぎません。ところが、神のご計画は違っていて、事態はこの後、ルターにとって思いがけない方向へと展開してゆきます。ローマ教会当局は、ルターにその見解を取り消さなければ異端として破門すると通告して来たのです。
一五一九年のライプチヒ論争では、ルターは、100年ほど前(1415年)教皇に盾突いて火刑に処せられた、ボヘミヤのヤン・フスと同意見の異端であると断じられました。しかし、さらにルターは文筆活動をもって教皇制度の批判を展開していきます。そのため、彼はついに教皇から破門状を出されますが、これをヴィッテンベルクの全学生の前で公然と焼却してしまうのです。
さらにルターは1521年4月16日から26日のヴォルムス国会に召喚され、その著書を取り消すことを最終的に求められました。拒否すれば、ヤン・フスと同じように火刑が待っているという状況です。時にルターは言いました。
「皇帝陛下ならびに領主が単純な答えを求めておられますので、私は両刀論法を使わずに、次のように答えたいと思います。即ち、聖書の証しによって、あるいは明白な理由と根拠によって−−なぜなら、私は、教皇も公会議もそれだけでは信用していません。というのも彼らがしばしば過ちを犯し、矛盾したことをいってきたのは明白なのですから−−克服され、納得させられないかぎり、私はすでに述べたように、聖書に信服し、私の良心は神のみ言葉にとらわれているのですから、私は取り消すことはできないし、また取り消そうとも思いません。(後略)」
これぞ宗教改革の形式原理「Sola Scriptura聖書のみ」の宣言でした。
ヴォルムスの国会が終わって処分が下る前に、ルターは5月17日に数名の騎士たちに捕らえられて行方不明となってしまいます。暗殺されてしまったのだという噂が流れ、ドイツの希望は消えたと嘆くむきもあったが、実際には、ルターを支持するフリードリヒがヴァルトブルク城に彼をかくまったのでした。ルターは、そこで歴史上はじめて聖書のドイツ語訳をしてゆくのです。まさに、「聖書のみ」を具体化・現実化していったのです。
結論 宗教改革の二大原理
(1)「聖書のみ sola scriptura」:形式原理
ルターの足取りから宗教改革の二大原理があきらかになりました。宗教改革の形式原理と言われるのは、「聖書のみ」が教会における第一の権威であるということです。ローマ教会は今日に至るまで聖書とともに「聖伝」というものを教会の権威としています。『カトリック要理』によれば、「聖伝とは古代教会の信仰宣言、公会議、教導職の証言、古代教会の記録、教父たちの著作、古代からの礼典などによって示されている」もので、これらは「使徒たちがキリストと聖霊から受け、教会に伝えた」とされています。ルターは<「聖伝」も過ちを犯し矛盾したことを言っており、ただ聖書のみが教会の上に立つ権威である。そして、公会議はそれ自体は信仰を拘束する権威を持つものではなく、ただ聖書と一致するかぎりで承認されるものである>(『公会議と教会について』)。教会にとっての権威は、「聖書のみ」です。
(2)「恩寵のみsola gratia、信仰のみsola fide」:実質原理
では、形式原理たる聖書が宣言する真理の中核つまり実質原理はなんでしょうか。それは、「恩寵のみ、信仰のみ」です。「恩寵のみ」は客観的な言い方で、「信仰のみ」は人間の側からの主体的な言い方ですが、両者とも実質的に同じことを意味しています。
「今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であて、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」(ローマ三:二十−二二)
神は罪人に律法と福音によって働きかけられます。律法は人間が何をなすべきかを教え、かつそれをなし得ない罪の病の現実をあらわにし、福音はこれを癒す薬を与える。福音のうちには神が罪人に与える贈り物としての義が啓示されていて、人はこれをただ信仰によってのみ受け取るのです。しかも、その信仰は、聖霊によって引き起こされる再生の最初の要素です。したがって、罪人の救いは100パーセント神の恵みにかかっている。まさに、「恩寵のみ Sola Gratia」です。