苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン12月21日  断食する前に

イザヤ58:10
口語訳>
飢えた者にあなたのパンを施し、
苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、
あなたの光は暗きに輝き、
あなたのやみは真昼のようになる。

新改訳>
飢えた者に心を配り、
悩む者の願いを満足させるなら、
あなたの光は、やみの中に輝き上り、
あなたの暗やみは、真昼のようになる。

新共同訳>
飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出て
あなたを包む闇は、真昼のようになる。

 翻訳上の異同は第一に口語訳は「パン」とあるのが特徴。心でなくパン、と。ヘブル本文は「心」で、諸英訳にもbreadはない。だが、文脈上、「パン」で的確。第二は新共同訳の「あなたを包む闇」であるが、これはヘブル語本文「あなたの闇」の意味をパラフレーズしたもの。「あなたの闇」は、「あなたの内にある闇」であるかもしれない。
 イザヤ書58章は、「わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。」と始まる。ヤコブの家の罪とは何だったか?一つは、神の民とくに富める支配階級の偽善的な断食に対する神からの警告である。敬虔そうに断食などしているが、神はそんなものは受け入れない。むしろ、飢えた者の腹を満たし、苦しむ者の苦痛をやわらげよ、と命じる。断食する前に、飢えた者にパンを施せ。もともと飽食な生活をしている君たちの趣味の断食と、貧しい人々の空腹はちがうのだ、と痛烈な皮肉。
 イスラエルの滅亡、バビロン捕囚の原因となった罪はふたつあった。一つは神殿礼拝は盛んだったが真の神と並べて偶像を崇拝したこと。もう一つは貧富の格差の拡大し、みなしご・やもめの訴えをとりあげない社会的不公正のゆえである。いかに宗教儀式が華麗荘厳であっても、もし偶像と不正義がともなっているならば、神はこれを受け入れてくださらない。