(昨日の説教概要)
詩篇8篇
8:1 私たちの主、【主】よ。
あなたの御名は全地にわたり、
なんと力強いことでしょう。
あなたのご威光は天でたたえられています。
8:2 あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、
力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対する者のため、
敵と復讐する者とをしずめるためでした。
8:3 あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
8:4 人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。
8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
万物を彼の足の下に置かれました。
8:7 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、
8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。
8:9 私たちの主、【主】よ。
あなたの御名は全地にわたり、
なんと力強いことでしょう。
神が栄光を全地に現わすために用いるのはどんな人でしょうか。大統領や大金持ち偉大な学者でしょうか。神は人の力や知恵を愚かなもの無力なものとされました。神は、御名を「幼子と乳飲み子たちの賛美」によって現わされます。神の栄光をあらわすのは、偉そうな人間ではなく、神の御前に己の卑しさ、貧しさを認めた人です。大宇宙の中で人はなんと小さい者でしょう。しかも、神にとっては大宇宙も「指のわざ」にすぎません。神の前で人間はまことに小さな者であるという認識こそ第一の智恵です。神を畏れることを知らぬ高慢な学者や権力者は、結局、害をもたらすだけです。
神は、小さな人間を心に留めてくださいます。それは、神は人をご自身に似た人格的存在として造り、人に被造物の世話を委ねられたからです。空間的にはいかにも小さな人間ですが、神の似姿であるかぎりにおいて私たち人間は偉大なものです。人は小さな存在であっても、神の前で尊厳があり、被造物管理の責任があります。パスカルは言いました。
「人間に自分の悲惨さを知らせないで偉大さだけを教えることは危険なことである。また人間に自分の偉大さを知らせないで自分の悲惨さだけを教えることはさらに危険なことである。しかし、人間に自分の偉大さと同時に悲惨さを知らせることはたいへん有益なことなのである」
もっとも賢明な人は、神の前に己の小ささと尊さを知る人です。子どもや孫たちに、「君は、偶然生じてきた宇宙のゴミでも、ロボットでも、サルでもない。君は、神様の似姿として造られた尊い存在だよ。」と教えたい。
(昨日、子どもたちの成長感謝礼拝でした)