苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「天高く馬肥ゆる秋」の誤解

 「天高く馬肥ゆる秋」ということばを、子どものころ、誤解していた。このことばを聞くと、私の脳裏には馬がウルトラマンのように天に向かって巨大化していくイメージが湧いたのである。「高く」という連用形の形容詞が「肥ゆる」という動詞を修飾しているのだという誤解だった。「天高く白球が飛ぶ甲子園」というのと同じように考えたのだった。
 もう二十歳頃になって、ふと「天高く馬肥ゆる秋」が、「天高き秋、馬肥ゆる秋」という意味であると悟った。形容詞が二つ並んで、次の名詞を修飾する場合、前の形容詞は連用形を取る場合があるということである。それから後、子どもの『故事ことわざ事典』で、この句は北方の騎馬民族が収穫物を強奪にやってくる季節になったと、警戒する中国のことわざだと知った。「ああ、さわやかだ、飯がうまい」という気楽なことばではないらしい。

 信州はもう涼しくなってきて、食が進み、ズボンのウェストがきつくなる。「天高く腹肥ゆる秋」。子どもの頃に焼きついたイメージのせいで、自分のおなかがこんもりとした里山のように、イワシ雲の空に向かってむくむくむくと大きくなる風景がまぶたの裏に浮かんでしまう。