創世記24:56
しもべは彼らに、「私が遅れないようにしてください。【主】が私の旅を成功させてくださったのですから。私が主人のところへ行けるように私を帰らせてください」と言った。(新改訳)
しもべは彼らに言った、「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。(口語訳)
彼人之に言ヱホバ吾途に福祉をくだしたまひたるなれば我を阻むるなかれ我を歸してわが主人に往しめよ(文語訳)
わたしを、お引き止めにならないでください。この旅の目的をかなえさせてくださったのは主なのですから。(新共同訳)
アブラハムは、息子イサクにふさわしい嫁を迎えるために、信頼するしもべを、チグリス川、ユーフラテス川の水源の地カランの地に派遣した。しもべは、神の摂理のもと、井戸のかたわらでアブラハムの姪にあたるリベカと出会い、彼女の親たちと面談となった。ここにいたる導きをあかしすれば、この出会いは神によるものであることは明白だったから、親たちは快諾せざるをえない。だが、せめて別れを惜しむための数日が欲しいというのが、親たちの情であったが(もっともなことだ!)、しもべは言った。
「私が遅れないようにしてください。主が私の旅を成功させてくださったのですから。」
彼の使命感の強さ。そして、何よりこれは「主が」なさったことだという確信のあらわれである。
しもべの使命感と確信によって、ことはすみやかに進み、彼はリベカを連れて主人アブラハムのいる約束の地へと帰ってゆく。
誰が始めたのかは知らないが、(あるいはオリゲネスあたりであろうか)、これは天父が御子イエスのために嫁(教会)を迎えに聖霊を遣わしたことを表すたとえ話として読まれてきた。だとすれば、聖霊の救霊における熱心を示すたとえ。本日は、受難日。
「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」
第二コリント6:2