苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

的を射た祈り

「私の主人アブラハムの神、【主】よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。 24:13 ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。
24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
こうして、彼が言い終わらないうちに見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。・・・(創世記24:12―5)


 アブラハムのしもべは、ご主人様の跡取りイサク様の嫁御として、最もふさわしいかたをみつけるというたいそう重大な任務を託されて旅をしてきた。旅のあいだ中、彼はどのようにして、どの娘がその方だと見分けられるのだろうかと思いめぐらしてきた。そして、井戸について祈った祈りがこれだった。
 「祈り終わらないうちに・・」その祈りは成就し始めた。
 祈りが的を射るとこのようなことが起こる。キリスト者は、そういう経験を何度かしている。