申命記14:2
あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民である。【主】は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。(新改訳)
あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。 (口語訳)
其は汝は汝の神ヱホバの聖民なればなりヱホバは地の面の諸の民の中より汝を擇びて己の寶の民となし給へり (文語訳)
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主はすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた。(新共同訳)
ヘブル本文では頭に「キー」(becauseの意)という接続語がある。口語訳は、一文目末尾に「・・・聖なる民だからである」と訳出し、文語訳は「其は・・・」と訳出している。新改訳と新共同訳は訳出していない。 これは前節「あなたがたは、あなたがたの神、【主】の子どもである。死人のために自分の身に傷をつけたり、また額をそり上げたりしてはならない。」を受けての「キー」である。
つまり、主があなたがたを、「わが子」「聖なる民」「宝の民」として選んでくださったのだから、身を傷つけたり、額を剃り上げたりするな、とおっしゃっている。これらは当時のカナンの地の住民たちの風習であったから、彼らとの区別ということである。
神の民は、その生活習慣においても神の民らしくあるべきだということ。だが、その「神の民らしく」というのは、刺青をしたり、その他、奇矯なことをすることでなくて、逆に、神が装ってくださるままに生きるということである。
主イエスは言われた。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ福音書6章28−30節)
今日は実は私の誕生日なので、この主イエスのみことばを、プレゼントとして受け取りたいと思います。無理をせず、虚勢を張らず、主が装わせてくださるままの自分を感謝して生きてゆきたいと思います。