詩篇92:4
【主】よ。あなたは、あなたのなさったことで、
私を喜ばせてくださいましたから、
私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。(新改訳)
主よ、あなたはみわざをもって
わたしを楽しませられました。
わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います。
(口語訳)
そはヱホバよ なんぢその作爲をもて
我をたのしませたまへり
我なんぢの手のわざをよろこびほこらん (文語訳)
主よ、あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。(新共同訳)
新共同訳のみ一行目「御業を喜び祝わせ」と御業を目的語として扱っている。ヘブル本文は、ベ(in)という前置詞があるので、「御業において」「御業をもって」とするのが普通だろうか。とはいえ、後半に出てくる「わざ」については、どれも「御手のわざを」と目的語扱いにしているのだが、ヘブル本文ではこれにも前置詞ベがついているから、新改訳、口語訳、文語訳は首尾一貫性に欠けているとも思える。新共同訳は前半後半とも目的語扱いしている。
さて、主の御手のわざとはなにか。後に続くことばを見ると、創造のわざというよりも、神が行われる摂理(配慮)のわざを指しているようである。神の配慮を神を恐れないものは悟らないが、神を恐れる者は悟る。たしかに、神のご配慮の深さ高さ広さは時間と能力に制限のある私たちには計り知れないものがあるが、神のご真実とあわれみに信頼する者として、目先いろいろなことがあっても、平安をもって歩んでゆきたい。万事を働かせて益としたまう、神の御手にゆだねて。