苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン7月28日  遠く、かつ、近く

詩篇75:1

文語訳
神よわれら汝にかんしやす
われら感謝す
なんぢの名はちかく坐せばなり
もろもろの人はなんぢの奇しき事跡をかたりあへり


口語訳
神よ、われらはあなたに感謝します。
われらは感謝します。
われらはあなたのみ名を呼び、
あなたのくすしきみわざを語ります。


新改訳
私たちは、あなたに感謝します。
神よ。私たちは感謝します。
御名は、近くにあり、
人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。


新共同訳(75章2節)
あなたに感謝をささげます。
神よ、あなたに感謝をささげます。
御名はわたしたちの近くにいまし、
人々は驚くべき御業を物語ります。

 特徴的な表現は三行目。口語訳では「われらはあなたの御名を呼ぶ」と訳しているが、ヘブル語本文は他の三つの訳のように「あなたの名は近くにある」と訳すのが普通だろう。英語でいえばYour name is near.(追記 口語訳はBHS注記およびLXXにしたがっている。)
 このごろ、神のいます天が、デイズムがいうように私たちから懸け離れたところにあるのではなく、近くにあることを実感するようになった。特に創世記を読めば読むほどに。園を歩きまわられる主、マムレの樫の木のところに現れた主、ヤコブと相撲を取ってくださった主。出エジプトの出来事で、昼は雲、夜は火の柱として民を導かれた主として。そして、福音書に記される人となって来られ弟子たちと寝食をともにされた主として成就した。
 天と地は、懸絶したものではない。主は今もここにいます。天と地の関係は、譬えて言えば、舞台裏と舞台の関係。舞台裏には監督とスタッフがいて、舞台には俳優たちがいる。監督は神、舞台に立つ俳優は私たち。十分によく表現できないのだが。
 汎神論の神は内在的な神。デイズムの神は超越的な神。だが、聖書の啓示する真の神は超越的にして内在的なお方である。遠く、かつ、すぐそばにいますお方。