苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月28日   みおしえをこのからだの中に        

詩編40章8節

わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。
あなたのおしえは私の心のうちにあります。(新改訳)


わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。
あなたのおきてはわたしの心のうちにあります(口語訳)


わが神よわれは聖意にしたがふことを樂む なんぢの法はわが心のうちにありと (文語訳)


わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、あなたの教えを胸に刻みます。(新共同訳)


 他の訳は「私の心に」「わたしの心に」「わが心に」だが、新共同訳のみが「胸に」と訳している。「胸」と訳された語は、もともと内臓を意味することばメーなので、「心」よりも「胸」ということばのほうが相応しいと判断したのだろう。よく指摘されることだが、ヘブル語では精神と身体が分離していない感じがある。
 「胸に」と訳したので、それに引きずられて、あるいは律法が石の板に刻まれたイメージから「刻む」と訳したのだろうが、ヘブル本文にはそのことばはない。そもそも動詞がなくて、「あなたの律法はわが胸のうちに」である。
 「刻みます」と訳すと、今きざむということになって、時間的なニュアンスが違ってしまう。そうでなく、「神のおしえ」が胸のうちにすでにあるから、神のみこころを行うことを喜ぶことができる。からだの外に神の教えがあったら、それは外から強制して人を縛り殺すものとなるが、からだのなかに神のおしえがあるならば、それは内から人を自由に生かすものとなる。2コリント書3章における「文字は殺し、御霊は生かす」に通じる詩篇の一節。
 聖なる御霊がみことばをこのからだのうちに住まわせてくださり、強制されてでなく喜んで主のみこころに生きるものとならせてください。