苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

アハブと妻

21:1さてエズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、 21:2アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。 21:3ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。 21:4アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。

21:5妻イゼベルは彼の所にきて、言った、「あなたは何をそんなに悲しんで、食事をなさらないのですか」。 21:6彼は彼女に言った、「わたしはエズレルびとナボテに『あなたのぶどう畑を金で譲ってください。もし望むならば、その代りに、ほかのぶどう畑をあげよう』と言ったが、彼は答えて『わたしはぶどう畑を譲りません』と言ったからだ」。 21:7妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。 (1列王21:1‐7)


 聖書のなかで最凶タッグといえば、アハブとイゼベルであろう。主に敵対し、預言者を数多く殺した夫婦である。21章では朴訥なナボテのぶどう畑を奪い取るために、権力に物を言わせて不当な裁判をして彼を殺してしまうというとんでもない夫婦である。
 しかし、それにもかかわらず、なにかアハブとイゼベルは、どこかコミカルな筆致で描かれていると感じる。上に掲げた箇所などその典型である。幼児性の抜けない王アハブ、悪女の標本のようなイゼベル。なんとなく百一匹わんちゃんのクルエラのイメージと重なる。もっとも彼女は独身のようだが。
 霊的には暗黒の南北時代を描きながらも、活劇を見るような楽しさを列王記記者は用意してくれたのは、慰め。