21:1さてエズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、 21:2アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。 21:3ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。 21:4アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。(1列王記21:1-4)
なぜナボテは葡萄畑を売らなかったのか。それが「先祖の嗣業」であったからである。これは申命記に記されていることに基づく。
19:14あなたの神、主が与えて獲させられる地で、あなたが継ぐ嗣業において、先祖の定めたあなたの隣人の土地の境を移してはならない。(申命記19:14)
それでも、長年のうちには借金のかたに取られるなど、さまざまな事情から、土地を他の人に譲らざるを得ないことが起こってくることがある。だが、それももとの所有者が買戻しを求めたら、必ずそれに応じなければならないし、買い戻せなくても、50年ごとにヨベルの年がやって来ると、もとに戻されなければならないとされた。
25:23地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。 25:24あなたがたの所有としたどのような土地でも、その土地の買いもどしに応じなければならない。
25:25あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買いもどさなければならない。 25:26たといその人に、それを買いもどしてくれる人がいなくても、その人が富み、自分でそれを買いもどすことができるようになったならば、 25:27それを売ってからの年を数えて残りの分を買い手に返さなければならない。そうすればその人はその所有の地に帰ることができる。 25:28しかし、もしそれを買いもどすことができないならば、その売った物はヨベルの年まで買い主の手にあり、ヨベルにはもどされて、その人はその所有の地に帰ることができるであろう。(レビ記)
なぜ神は地境を守れと言われたのか?当時にあっては、土地こそが生産手段であった。土地を失うということは無産者(労働者)になり、有産者(資本家)の奴隷になることを意味していた。神は、神の民イスラエルが、少数の大金持ちが大多数の貧困層を支配するような、格差社会に転落してしまうことをお望みにならなかったのである。だから、ある程度の自由な経済活動を認めながらも、その結果生じる貧富の格差を修正するための法をあらかじめ定められた。
しかし、イスラエルでは神が与えてくださったヨベルの年が実施された形跡がない。その結果、南北両王国ではともに貧富の格差が拡大し、社会的弱者が虐げられ、その訴えは取り上げられない社会と成り果ててしまった。主がイスラエルを滅ぼされた理由のひとつは偶像崇拝だが、もうひとつは正しい裁きが行われない不正義な社会となってしまったことである。
おまえのつかさたちは反逆者、盗人の仲間。
みな、わいろを愛し、報酬を追い求める。
みなしごのために正しいさばきをせず、
やもめの訴えも彼らは取り上げない。(イザヤ1:23)
アハブ王が、金の力にものを言わせて、ナボテから先祖からのゆずりの土地を買おうとした事件が列王記の記者によって採り上げられているのは、正義のさばきをなすべき王が自ら不法を行なっていたということの象徴だったのである。ナボテの葡萄畑の事件は、神の怒りのさばきが、この国に近づいていることを告げている。
所有権を絶対化し、自由市場経済を偶像化し、1パーセントの金持ちが富の80パーセントを握っているというような不公正な社会を、神ががお喜びになるわけがない。そんな国を手本にしてどうするつもりなのだろう。