苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

エフタやサムソンたち

 「自分の娘をいけにえにするなどとんでもない」「そもそも軽々しく誓ったことが問題だ」と非難されるエフタ。「ナジル人のくせになんという女好き」「無割礼のペリシテの女と結婚したがることも問題」「最期の死に方も自殺じゃないのか」と欠点だらけのサムソン。
 たしかに、問題だ。エフタは健さんみたいでかっこいいけれど、サムソンみたいな無茶苦茶な男は、私も好みではない。それに、今、こんな人が教会にいたらこまるだろうなあと、正直思ったりもする。けれども、神様は彼らを御自分の器として用いられた。ヘブル書の記者は、彼らを非難しているだろうか。

これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
                  (ヘブル11:32−34)

 百の欠点をうんぬんするのでなく、一つの美点、信仰に目を留めてくださった主のあわれみ。