苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

イテロとモーセ

さて、モーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロは、神がモーセと御民イスラエルのためになさったすべてのこと、すなわち、どのようにして【主】がイスラエルをエジプトから連れ出されたかを聞いた。
                       出エジプト記18:1

 イテロは不思議な人物である。彼はミデヤンの祭司と呼ばれている。祭司というからには、何らかの神に仕える身であったのだろうが、彼が仕えていた神の名はわからない。
 イテロは娘チッポラの父、モーセの舅として40年間をモーセとともに過ごしてきた。ところが40年目にモーセが荒野で「わたしはある」というお方に召されてエジプトに立って行き、エジプトの王の圧制からイスラエルの民を解放し、葦の海を分けてここまでつれてきたのを見たときに、イテロは「主はほむべきかな。主はあなたをエジプトの手と、パロの手から救い出し、この民をエジプトの支配から救い出されました。今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。」と告白した。荒野で多くの神々の名を呼んできたイテロにとっては、なお主は唯一のお方ではなく、神々のうちでもっとも偉大なお方であったとはいえ。
 もうひとつイテロにかんして不思議なことは、荒野で羊を飼っていた彼が、モーセに対して民の組織化に関して助言をしていることである。かつてモーセはエジプトで帝王学を学んだのだから、彼が民の組織化をしたというならばわかるのだが、なぜイテロが?と首を傾げたくなる。あるいは祭司として、あちらの王、こちらの王に招かれて、その祝福を祈るという経歴のなかで、国々の政治手法というものを見てきたのだろうか。天性のセンスなのだろうか、よくはわからない。またモーセモーセで、舅イテロの助言をすなおに受け容れている点もすばらしい。40年もともに生きてきたので、舅にはそういう知恵があるということをモーセはわかっていたのだろう。
 婿と義父という間柄にあるモーセとイテロの関係は、なかなかうるわしい関係である。婿は義父の助言を素直に聞き、義父は婿の信じる神を褒め称えるようになった。互いの立場をわきまえ尊重し合いつつ、真理の前に謙虚であろうとする、そういうことではないだろうか。
 えてして立場だけの上っ面の関係で、真実なことはなにも言い交わすことのないかかわりということがある。また、他方で、真理のためだといって立場など関係ないというのが「民主的だ」と言って長幼の序もなく議論することがある。だが、実はどちらも大切なこと。