苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月18日  預言者

出エジプト4:12
然ば往けよ我なんぢの口にありて汝の言ふべきことを繁へん(文語訳)

それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう。(口語訳)

さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。(新改訳)

さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。(新共同訳)

 翻訳文はどれも同じ。
 エジプト脱出の指導者として召されたモーセは躊躇した。「私はことばの人ではありません」と。それはそうであろう。かつて、彼はエジプトのパロの娘のもとで最高の学問を施され、ことばにもわざにも力ある人であったが(使徒7:22)、モーセは四十年間ミデヤンの荒野で羊の群れを相手に過ごしてきて、もはやあの雄弁はさびついてしまっていると悲観していたのだろう。
 だが、神がモーセをご自分の器として用いるためには、この無力の自覚こそ重要だったのだろう。雄弁に自信があったかつてのモーセは自分のことばを語ったであろうが、今、モーセは彼とともにいる主から預かったことばを伝える預言者となった。
 明日は主の日。説教壇から、神のことばが語られますように。