苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

金の子牛の事件

通読箇所 マタイ24章1-28節、出エジプト30-32章

32:31 そこでモーセは【主】のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」出エジプト32:31,32

 モーセがホレブ山で神から律法を授かっているとき、山の麓にいた民は待ちきれなくなってアロンに言って金の子牛の像を作らせて、これを拝んだ。どうやらアロンは他の神々を拝ませるつもりはなかったらしい。アロンは「あすは主YHWHへの祭りである」と呼びかけているからだ(32:5)。アロンとしては、「目に見えないお方では、イスラエルの民が不安で承知しないから、見える形の像をつくって、見えない主YHWHを礼拝するよすがとするだけだ」と心のうちで言い訳をしていたのであろう。
 だがこれは、「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。」という十戒の第二の戒めに叛く罪であった。「なにも偶像そのものを神だとは思ってはいない。目に見えぬ真の神を拝むためのよすがにすぎない」という言い訳は、神の前には通用しない。まことの神を崇める方法は、まことの神がお定めになっている。