苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

わがたましいよ 主をほめたたえよ

序 2014年という年がまもなく暮れようとしています。私たちは自分自身のたましいに向かって、「主をほめたたえよ」と命じましょう。

103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。

 いや魂だけでなく、体も、霊も「私のうちにあるすべて」に対して聖なる主の御名を褒め称えよと命じましょう。

 私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。


1 主の良くしてくださったことのゆえに・・・あれこれ感謝から始める

 
 詩人はまず、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と具体的に主がしてくださったことを思い出し、数え上げることから始めよ、と自分の魂に命じます。今、みなさん、目を閉じてください。しばらくこの一年間を振り返って、あのこと、このことを思い出して神様に感謝しましょう。

103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、
 あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

 まず、健康が守られた、とか、仕事が順調だったとかいうことではなく、咎をゆるしてくださったことが一番目に来るところ、さすが神を恐れる詩人です。神様の前に罪咎をゆるされたということこそ、私たちにとって一番ありがたいことです。あとは、まあオプションです。病気をいやしてくださった、死から助けてくださったというのは、ありがたいことですが、クリスチャンも病気が治らないこともあれば、地上の任務を終えてこの世を去ることもあります。でも、罪はイエス様のゆえに、もれなくゆるしていただけたのです。
 とはいえ、私たちの教会の歩みを振り返ってみれば、病を癒し、いのちを穴から贖われた、つまり死から救われた兄弟姉妹たちがいますね。M兄とT兄です。M兄は発病のときにはクリスマスは到底迎えられないという医者の見立てでしたが、こうして元気に礼拝を守っています。奇跡です。T兄は、心拍数が20か30まで落ちていたのですが、イエス様にお任せしますとおっしゃって洗礼を受けた後、主は祈りに答えてくださいました。ともに礼拝する日が訪れることを首を長くして待っています。そして、大病を得られたY先生ご夫妻も、今日はこんなに元気になられて礼拝できていることも感謝です。
 また、私たちはずっと毎週のように、福島第一原発四号機使用済み核燃料移送作業の無事を祈ってきました。作業に失敗があれば、東日本全体人が住めなくなるということでした。それが先週、燃料棒取出しが終わったというニュースがありました。作業に携わってくださった現場のひとりひとりの健康に、主の憐れみ深い癒しを祈りながら主に感謝します。

2 主の正義とあわれみのゆえに・・・主のあわれみ深い摂理を振り返って
 詩人ダビデは、続いて、イスラエルの歴史における神様の摂理、導きを振り返ります。

103:6 【主】はすべてしいたげられている人々のために、
 正義とさばきを行われる。
103:7 主は、ご自身の道をモーセに、
 そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。

 主は「正義とさばき」を行われるのです。彼はまずイスラエルの歴史、特に、モーセに導かれたイスラエルのエジプト脱出の出来事を思い起こすのです。ふえすぎたイスラエルの民の力を削ぐために、生まれてきた男の子たちを皆殺しにしようと企てるエジプト王。この王の奴隷とされたイスラエルの民を、主はアブラハムと結ばれた契約のゆえに解放してくださいました。その正義とさばきの御手を動かして、当時世界最強の王であるエジプト王の手から彼らを解放してくださったのです。

 しかし、またその後の荒野のイスラエルの歩み歴史を振り返れば、それは神様に対する不信と反逆でした。荒野を行くイスラエルは、水がなければモーセと主に対して非難のことばを吐き、食べ物がマナばかりで飽きてしまいエジプトの肉やにらやたまねぎが食べたいと不平不満を述べ、モーセがホレブ山に律法を受け取りにいってしばらく戻らないと、なんと彼らは金の子牛の偶像をつくってこれを拝むことさえしたのです。なんという忘恩の民だったことでしょうか。
 主はついに怒りを燃やされて、ひとたびはこの頑ななイスラエルの民を荒野で滅ぼしてしまうとさえおっしゃいました。しかし、モーセのとりなしの言葉を受けて、主は彼らを赦してくださいました。主は、正義とさばきの神ですが、憐れみと情けに満ちたお方でもあります。詩人の思いは過去のイスラエルのことから、「私たち」への主のお取り扱いにうつって次のように歌います。

103:8 【主】は、あわれみ深く、情け深い。
 怒るのにおそく、恵み豊かである。
103:9 主は、絶えず争ってはおられない。
 いつまでも、怒ってはおられない。
103:10 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
 私たちの咎にしたがって
 私たちに報いることもない。

 神が正義とさばきを行われることを私たちは願い、実際、そうでなければ世界は、ヤクザやギャングが跋扈する世界になり果ててしまうでしょう。けれども、です。もし、主が正義とさばきのみを厳正に行われるとしたならば、いったい私たち自身、正義の神の前に立つことができるのでしょうか。・・・私たち自身もまた日々、こころの思いと、ことばと、行いにおいて罪ある者ではないですか。もし私たちの罪にしたがって私たちを扱われるならば、私たちもまた、とおの昔に滅ぼされてしまったでしょう。
しかし、正義の神は同時にあわれみ深いお方であられます。そうして、主を恐れる者を哀れんでくださいます。私たちの罪を、キリストの贖いのゆえに忘れてくださるのです。

103:11 天が地上はるかに高いように、
 御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
103:12 東が西から遠く離れているように、
 私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
103:13 父がその子をあわれむように、
 【主】は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主なる神様は、私たちがどれほど弱い者かということをよくご存知です。虚勢を張っていても、どれほど罪の誘惑に弱くてくじけてしまう者であるかをご承知です。朝、静まって聖書を読んできよらかな心になって「一日感謝だけで生活しよう」と決心しながら、朝食の席につくと、早速「味噌汁が辛い」とか不平を言っている。
人が、どれほど自分の行いを磨き、知恵を誇り、自分の経験を誇り、肩書きを誇ったとしても、所詮、人は土から造られたちりにすぎないのです。やがては塵に帰るものなのです。

103:14 主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを
 心に留めておられる。
103:15 人の日は、草のよう。野の花のように咲く。
103:16 風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
 その場所すら、それを、知らない。

私たちはまことに塵にすぎません。死んで焼かれてしまえば、文字どおり火葬場のちりとりにかき集められる、そういう存在なのです。しかし、主は、そういう塵にすぎない私たちにキリストにある恵みの契約をたまわりました。罪の贖いのための業を終えて、天の御座についている王なるイエス・キリストに信頼し、イエスキリストの契約のうちに生きる者に、恵みをとこしえからとこしえまで、注いでくださるのです。


103:17 しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
 主を恐れる者の上にある。
 主の義はその子らの子に及び、
103:18 主の契約を守る者、
 その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。
103:19 【主】は天にその王座を堅く立て、
 その王国はすべてを統べ治める。

3 主をほめたたえよ

 主は、キリストにある契約のゆえに私たちの咎を赦してくださいました。また、主は私たちの病を癒し、私たちを永遠の滅びから救ってくださいました。 主は正義と公正をおこなわれる神です。そして、わたしたち主を恐れて、その契約のうちに生きる者には、格別のあわれみを注いで、その人生に恵みを注いでくださるお方です。
これらの恵みを数え上げ、主の正義と主のあわれみふかさを覚えて、主をほめたたえましょう。詩人は、地上からの讃美だけでは十分ではないとばかり、天使にもさあ、いっしょに主を褒め称えようと呼びかけるのです。

103:20 【主】をほめたたえよ。御使いたちよ。
 みことばの声に聞き従い、
 みことばを行う力ある勇士たちよ。
103:21 【主】をほめたたえよ。
 主のすべての軍勢よ。
 みこころを行い、主に仕える者たちよ。
103:22 【主】をほめたたえよ。
 すべて造られたものたちよ。
 主の治められるすべての所で。


そうして、最後にもう一度「わがたましいよ」と呼びかけます。

 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。

結び
 私たちもAmazing Graceをもって、この一年間の主の恵みを振り返りつつ主をほめたたえましょう。

「おどろくばかりの恵みなりき この身のけがれを知れるわれに
 恵みはわがみの恐れを消し 任するこころを起こさせたり
 危険をも罠をも避けえたるは 恵みのみわざと言うほかなし
 御国に着く朝 いよよ高く 恵みのみ神をたたえまつらん」