苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

恋は盲目じゃなくて・・・


(庭に咲いている花。妻に名を聞いたら、忘れたそうです。どなたか教えてください。)



 「恋は盲目」などということばを昔は聞いたし、そんな名の歌もあった。あの若いふたりは親の反対を押し切って、駆け落ちしていっしょになったんだってよ、というような話を、ドラマで見たりした。だが、最近は、そういう話をめったに聞かない。子どもの結婚について、そこまで強力に反対できる親がいなくなったからかもしれない。あるいは、若い人たちが計算高くなって、そんなひどい貧乏な結婚生活のスタートなど考えられないと思うようになったからか。あるいは、これほど就職がむずかしい時代では、二人で駆け落ちして逃げた先で、再就職できる見込みもないからかもしれない。・・・とにかく、みんないろいろ状況を考えるようになって、「恋は盲目」といったロマンチックなことはいえなくなってしまった。
 でも、こんな時代でも多くの人を盲目にさせているものがあるんだなあ、と昨年から原発ムラのいろいろなことを知って思うようになった。政治家、官僚、財界人、評論家、大学教授、新聞論説委員、テレビ局・・・東電マネーが浸透して、だれも本当のことを言わなくなってしまっていた。筆者にとってショックだったのは、真実を探求するのが取り柄だと思っていた大学の先生まで、テレビで公然とウソをつく姿だった。
 でも、こんな人間のあさましい現実をイエス様は、ちゃんと知っておられた。

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
  からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイ6:19-24

 大飯原発再稼動についての政府閣僚の判断は、「必要だから安全」という理性の麻痺したものだった。これもまたマモニズム=経済第一主義のせいだろう。人を盲目にさせるのは、恋ではなくカネなのだった。なんとも味気ない現実。だが「カネは盲目」では、ドラマは作れないなあ。
 カネによる盲目状態から解放され、ことがらを正しく見ることができる道はないのだろうか。富についてはむしろこれを本来の人間のための便利な道具として支配する術(すべ)はないのか。ある。それは、富に仕えることをやめて、まことの神様に仕えることである。まことの神に仕えるとき、私たちは被造物の奴隷状態から解放されて、目を開けて自由人として生きることができる。