苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

地球は水の惑星

出典 https://www.koukaitenmondai.jp/akatsukikun/aboutvenus.html

 このところ、原則として隔週で創世記を説き明かしている。先日は創世記7章のノアの大洪水の記事のお話をした。私は無神論者の高校生のころ、ノアの大洪水などあるわけがないと決めつけ思考停止して調べようともしなかった。だがクリスチャンになってから大洪水について、どういう研究がなされているのかに関心を持つようになった。

 

1 洪水が覆った範囲

 

 大洪水が覆った範囲については、地域限定説と地球規模説がある。前者はメソポタミア地域限定説と、近年話題となっている黒海のボスフォラス海峡形成(決壊)による地中海東世界地域限定説がある。地域限定説は現代人の常識にかなっているので、リベラルな聖書学者たちの学会でも扱われる。

 だが、創世記には山々の頂まで水で覆われたという記述があり、水が減って来てノアが漂着したのが現状標高5千メートルを超えるアララト山であったという記事がある。

「水はまた、ますます地にみなぎり、天の下の高い山々は皆おおわれた。水はその上、さらに十五キュビトみなぎって、山々は全くおおわれた。」(同7:19,20)

箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。 水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。」(同8:4,5)

 これらの記事を素直に読めば、洪水は地球規模のものであったつまり地球規模説になる。地域限定説の場合は、上の記事を文学的な誇張法として読むほかないだろう。大洪水を地球規模とする説はレオン・モリスをはじめとする「創造科学者」たちによるものである。かつての高校生の私と同じように、リベラルな聖書学者たちは創造科学の地球規模説に、似非科学のレッテルを貼りつけて検討の対象とすることすらしない。だが創世記を普通に読むならば、地球規模の洪水があったことを主張している。

 

2 水はどこから来たのか?

 

 地球規模説のばあい、地表を覆いつくすほどの莫大な水がどこから来たのか、そして大洪水後、どこに行ってしまったのかということが疑問となる。南極大陸の氷がすべて溶けたとしても、水位は数メートルしか上がらないからである。

 地球は「水の惑星」なのだということばを思い出す。上の写真は太陽系の「地球型惑星」である金星、地球、火星である。地球の姿はなんとユニークで、青く美しいことだろう。それは地球は水に満ち満ちているからである。神がまず用意した素材としての原始の地球は水に覆われていた。

「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」(創世記1:2 口語訳)

 そして神はこの水の間に「大空(大気)」を挟み込んで、「大空の上にある水」と「大空の下にある水」とに分けられた。

神はまた言われた、『水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ』。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。」(同1:6,7)

 当時の地表の状態について、創世記は次のように描写している。

「主なる神が地と天とを造られた時、 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。 」(同2:5,6)

 大洪水前、地下水が豊かであったというのである。「大空の上の水」は地表を温室的な状態に保っていたから南極も温暖であったので、海にはサンゴがあり陸には森林もあった。実際、今日南極でサンゴの化石や石炭層が発見されていることは周知の事実である(一番下のリンク先を参照)。また「上の水」のゆえに地表の気圧は2気圧ほどであって、それが大洪水前の動植物が長寿で巨大であったことと関係するのだという説も唱えられている。

 ところが人間が神に背いて堕落のきわみに達したので、神はこれを大洪水をもって一掃することにされた(同6章)。そして、神は地下の「大いなる淵の源」と大気圏外の「天の窓」を開くことで、地表をさばきの水で満たされた。

それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、 雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。(同7:11,12)

 「大いなる淵の源」が猛烈な勢いで噴出した。また、「天の窓」からは「おおぞらの上の水」が降り注いだ。ある学者は、巨大な隕石が地球に衝突し地殻にひびが入って、そのひびから地下の淵の水が猛烈な勢いで噴出して「大空の上の水」に達して急速に冷やしたので、それによって四十日間大雨が降り注いだのではないかと推測している。 大洪水の結果、地球を覆っていた「大空の上の水」はなくなったので、地表の寒暖の差は激しくなり、北極と南極は氷におおわれてしまった。

 

3 大量の水はどこへ行ったのかー地殻変動

 

 他方、「下の水」は40日を過ぎても噴出し続け、150日間に及んだ。「水は百五十日のあいだ地上にみなぎった。」(同7:24)。これほどの大量の地下水があったことからして、「下の水」は今日私たちが見る地殻中の水脈ではないと推察される。学者は「下の水」は地殻の下に閉じ込められていたものであると推測し、それが地表に噴出したのであろうと推測する。「下の水」の噴出によって地球規模の地殻変動・造山活動が起きることになる。大洪水前までなだらかだった地表は、せり上がって山地・山脈を形成し、あるいは陥没して巨大なくぼみとなって、そこに大量の水が流れ込んで海となった。これが昨日書いた詩篇104篇8節が「山が上がり、谷は沈みました」と言っていることである。
 つくづく地球は「水の惑星」である。水はたいへんありがたい賜物であるが、同時に恐るべきものでもある。

 

4 大洪水の証拠

 

 世界を大洪水が覆ったならば、その証拠が地中に大量に発見されるはずである。実際に

(1)岩塩

 岩塩は海水が内陸に閉じ込められて水分が蒸発して、地殻変動によって地下に閉じ込められて形成される。だから岩塩が採掘されるところは、かつて海底にあったことを意味している。ヒマラヤにもアララトにも南米アンデス山脈にも岩塩が存在するのは、これらの5000~8000メートルの山地が海底にあったことを意味している。こうした岩塩は普通にスーパーでもAmazonでも売っている。

(2)石炭層

 世界各地に広大な石炭層が存在する。北米大陸ユーラシア大陸は実に広大なものである。北米の炭田の分布については下のリンク先を参照。炭田の形成については、沼沢地説と海洋説がある。私が高等学校の地学で教わったのは沼沢地説によれば、沼の周辺に生えた木地面に徐々にうずもれていって炭化したものが観察されるが、そのように炭田はできたというのである。だが、この方法では沼の周辺部にわずかに炭化した木ができるだけであって、地平線まで石炭というような炭田は決して形成されることはない。

 海洋説では、大洪水によって森林がすべて根こそぎにされて、海洋に集まって浮島のような状態になり、やがてそれが徐々に沈んで行って海底に石炭層ができたというものである。海洋説の方が、世界の広大な炭田の存在を説明できる。

(3)もろもろの生物の化石の姿

 世界中の水成岩の地層の中から動植物の化石が発掘される。魚の化石の姿は、きれいにひれまで残っているし、ザリガニはひげまできれいに残っているし、カエルは爪の先まできれいに残っている。このような化石は、昔の教科書で教えたように三角州に徐々に埋められて行ったなら決して形成されない。金魚を飼ったこのある人はすぐにわかることだが、動物が死んで池の中に置かれると、他の魚が来て食べ、バクテリアが分解するのですぐにボロボロになってしまう。現在世界中の地層の中で大量に発見される動植物の化石は、かつて大量の土砂と水が一気にその生物を埋めた証拠である。

ザリガニの化石
出典 化石写真集

ザリガニ~化石写真集



 

関連リンク
南極大陸の地下資源」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tetsutohagane1955/70/6/70_6_498/_pdf

 北米の炭田分布

「炭田や油田の分布」と「造山帯の分布」の関連について|二宮書店

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