苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「自主憲法制定」こそ対米追従の道

 「日本国憲法は米国から押し付けられた憲法である。自主憲法を制定し、日本は米国から独立的に歩むべきだ!」と改憲論者は言うけれども、実は、彼らこそ対米追従者である。なぜ、そんなことが言えるか?
 二つ理由がある。

 第一の理由は、昨日、すでに述べたように、日本国憲法は実質的に、明治の自由民権運動を源泉とする日本製の憲法であるからである。国権主義に立ちたい権力者にとっては「押し付けられた憲法」であっても、民権主義に立つ国民にとっては、自ら生み出した憲法である。これ以上はここでは繰り返さない。

 第二の理由は、「自主憲法」論者は、戦争放棄条項を破棄して、戦争ができる国となって、「集団的自衛権」を盾として米国に追従して、米国が行なう戦争の下請けをしようともくろんでいるからである。事実、戦後、「自主憲法」「自主軍備」「自主外交」を主張した岸信介安倍晋三の祖父)が米国CIAのスパイだったことは、いまや広く知られた事実である。岸は、米国が日本を共産主義の防波堤として利用しやすいように、この国を改造しようとした。戦争放棄を定めた日本国憲法は、米国が日本を共産主義に対する防波堤とする上で邪魔物だったのである。

以下、本ブログ2010年3月8日から引用。〜〜〜〜

 岸は戦前は官僚として満州に異常な権勢をふるい、開戦時は商工大臣であった。当然、A級戦犯嫌疑で巣鴨プリズンに収監された。だが、秘密裏にCIAエージェントとなることと引き換えに、岸は右翼の児玉誉士夫、読売の正力松太郎とともに、1948年12月24日、釈放された。東条英機らが処刑された翌日のことである。
 岸らが釈放された背景には、収監中の国際情勢の急変があった。1945年8月15日に敗戦、日本国憲法が1946年11月3日に公布され、日本は民主化戦争放棄の道を進み始めた。ところが、大陸ではソ連に助けられた毛沢東蒋介石との戦いを有利に進めていた。実際、翌1949年には中華人民共和国の成立を見、1950年には朝鮮戦争が勃発する。このため米国は、日本を「共産主義に対する防波堤」にすることに方針転換をした。そのためにCIAが日本社会に送り込んだ工作員が、岸信介と正力と児玉であった。岸は政界で、正力はマスコミで、児玉は暗黒界(ヤクザと右翼の世界)でそれぞれCIAに貢献することを期待された。
(中略)
 それはそうとして、釈放後、岸は「自主憲法」「自主軍隊」「自主外交」というスローガンをかかげて日本再建を訴える。紆余曲折はあったが、1955年岸は鳩山一郎とともに自民党をつくって、その幹事長となり、1956年には外務大臣、1957年には内閣総理大臣となった。岸の2つのスローガン「自主憲法」「自主軍隊」は「日本を共産主義に対する防波堤」とする米国の意向を汲むものである。米国は日本に民主主義・平和主義条項を持つ憲法を許したことを、早くもこの時点で、すでに後悔していた。日本人をアメリカが己が覇権のためにアジアで行なう戦争に動員できなくなってしまったからである。岸の「自主外交」というのは単なるカモフラージュにすぎない。岸は秘密裏にCIAから莫大な政治資金を得て、政治活動をしていた。
引用、以上。〜〜〜〜〜


 韓国には平和憲法がなかった。そのため、米国によってベトナム戦争に狩り出されて5000人が戦死し、ベトナム人2万人を殺したという。わが国は、日本国憲法があったればこそ、対米追従しないですんだのである。それは明治の自由民権運動の成果である。

岸信介について
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20110306/p1