(散歩道、相木川べりに咲くノカンゾウ)
著者は元外務省の役人として、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任の後、防衛大学校教授として教鞭をとり、今は執筆・講演活動をしている。本書は、外交の裏も表も知る現場にあった者としての視点で、きちんと資料に基づいて読み解いた戦後通史である。うわっつらだけをたどった通り一遍の通史ではなく、根拠のあやふやな陰謀史観でもなく、根拠ある首尾一貫した洞察がたいへん面白い。もしかすると、善きにつけ悪しきにつけ今後の日本の歴史を動かすベストセラーになるのではないか。読者として高校生以上が読むことができるようにと配慮されていて、写真もあって読みやすい。
1.日本の戦後外交史は「対米追随路線」と「対米自主路線」の抗争史として理解される。
2.米国は、もし日本の指導者が「米国の基地撤退問題」と「中国との関係改善問題」という二つの点に触れると、その指導者を交代させるべく働きかけてきた。その際、指導者を追い落とすために用いられてきた道具は、大新聞+政界+官界(特に東京地検特捜部)+経済界である。
3.対米追随路線の政治家の典型は、吉田茂、池田勇人、中曽根康弘、小泉純一郎、野田佳彦であり、他方、対米自主路線を進もうとした政治家の典型は、重光葵(降伏直後軍事植民地化政策を阻止)、岸信介(60年安保改正)、田中角栄(米国を置き去りに日中国交回復)。後者は、ことごとく米国によって切られて来た。小沢一郎、鳩山由紀夫の失脚もその観点から理解される。
<感想メモ>
☆ 従来の印象と異なるのは、吉田茂と岸信介である。米国にも対等にものを言っていたように見えた吉田は米国にべったり追随した政治家であり、米国べったりに見えた岸は実はそうでないという。岸は事実CIAのエージェントであったが、岸が米国から莫大な資金を取り込みつつも、したたかに日本の自主の道をさぐって行動したと、孫崎氏は資料に基づいて主張している。右翼の岸は、日本は核兵器を保有して米国から独立することを願っていた。それを私は評価するわけには行かない。
★ 不満が残ったのは、孫崎氏が対米自主路線支持の人であるから、日本国憲法が単純に米国民政局から押し付けられたものだという、世間にいる自主憲法制定論者の通り一遍の上っ面の記述のみをしていることである。このあたりが孫崎氏の限界なのだろう。理性は情念にコントロールされていて、自分に都合の悪いことは隠蔽してしまうのだ。
実際には、日本国憲法の背景には、明治期の自由民権運動の特に植木枝盛の思想があり、鈴木安蔵がこれを研究して昭和憲法の骨子をつくり、これをGHQが英訳・完成して、日本政府に渡して、日本政府がこれを和訳したといういわば逆輸入の経緯を経ている。こちらを参照。http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20091231/p1
☆新約聖書を読む上で考えさせられたこと。
主イエスの時代、ローマ帝国の属州であったイスラエルにおける複雑な政治状況・社会状況のなかに、当時政治的イメージの強かったと言われるメシヤが登場したということがどういうことを意味していたのかということを類比的に考えさせられた。
すなわち、帝国は総督をユダヤに送ると同時に、ユダヤ人と犬猿の仲であったイドマヤ人のヘロデを王として立ててイスラエルを統治した。この傀儡であれば、愛国心に目覚めてローマに歯向かう恐れはないと思われたからである。ヘロデ大王は強権政治でユダヤを治め、巨大な神殿を建てて祭司階級を懐柔した。神政政治であったユダヤでは祭司階級は政治的指導者層でもあった。彼らは傀儡のヘロデ王朝を憎みながら、同時に、親ローマ体制のなかで、神殿経営をかつてなく「成功」させていた。
ローマ帝国の巧みな植民地経営や属国経営は、近代の欧米の帝国主義諸国の植民地経営の手法とされていく。