苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

私たちを惜しんでくださる神

             2011年3月27日 小海主日礼拝

 今般の地震で東北宣教区と常磐宣教区にある19の教会が被災しましたが、私は第四次救援チームに加えていただいて、福島第一原発の近くのいわき市の教会を訪問しましたので、まずこのことについて報告をします。(中略)  
 この危機的状況の中で、主イエスを信じる兄弟姉妹たちが、主イエスに希望をもって、かえって地域の方たちにお仕えしている姿に励まされました。いわきの兄弟姉妹、勿来の住吉先生とその群れの方たち、平福キリスト教会と森先生と兄弟姉妹たち、被災したすべての常磐・東北の諸教会、地元の被災者のためにお祈りしましょう。また、続いて第5次、第6次と救援チームが仙台、盛岡などに向かっています。盛岡からは信州宣教区に支援要請が届いています。志が与えられた方は参加してください。


 1.ヨナ書
(1)ヨナの逃亡
 さて、本日は観点を変えて、私たちの国日本の悔い改めの必要と神のあわれみについてみことばに味わいます。預言者ヨナは、ちょっと風変わりな預言者なのでみなさん印象深いことでしょう。少し背景を説明します。彼は北イスラエル王国に神様が遣わした預言者でした。彼は紀元前792年から753年に治めたヤロブアム2世の時代の人でした(2列王14:25)。
 この時代、北イスラエル王国は北方のアッシリヤ帝国から常に圧迫され、苦しめられていました。アッシリヤ帝国は、この後オリエント世界を歴史上はじめて統一した軍事帝国で、彼らはある国を滅ぼすと彼らをそこから引き抜いて移住させて混血させるという暴虐な政策を行ないました。
 こういう暴虐なことをするアッシリヤの都が、ニネベでした。神様は、ヨナに命じました。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。かれらの悪がわたしの前に上って来たからだ。」(ヨナ1:2)しかし、ヨナは神様のみこえに背いて、ニネベとは正反対の方向に逃げて行こうとしました。その理由は、4章の2節に記されています。
 「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。」・・・ヨナは暴虐なアッシリヤの都ニネベなど滅びてしまえばよいと考えたのです。だから、彼らが万が一にも悔い改めて神のゆるしを受けることがないようにと願って、タルシシュにのがれようとしました。
 しかし、ヨナの乗る船は難破し、彼は神が送られた不思議な魚に飲まれてニネベに行かざるを得なくなるわけです。

(2)警告
 魚に吐き出されたヨナは、しかたなくニネベまで出かけます。そして、しぶしぶでしたけれど、とにかく神様からの警告をニネベの人々にことごとく伝えました。3節によれば、その町は朝から晩までヨナが3日間歩き回ったといいます。考古学者の発掘によれば、ニネベは五つの門を備えた城壁に囲まれた町で、その周囲は12キロメートルということです。真四角ならば、一辺が3キロメートルです。今日の感覚でいえば、それほど大きな町とは思えません。ここを三日間もかけて回ったというのですから、ヨナはくまなく警告してまわったことがわかります。ヨナは叫びます。 「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」。

(3)悔い改め
  するとなんということでしょうか、ヨナが恐れていた通り、あのイスラエルに対して意地悪なことばかりするニネベの人々は、神の前に恐れおののいて悔い改め始めたのでした。しかも、それは一部の人ではなく、身分の高いものから低い者まで、いや、それどころか家畜までもでした。
「そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」(3:5−9)
 家畜にまで荒布をまとわせるのは、いかにも彼らが異教徒であって、まことの神様のことを知らないことを表わしているのでしょう。後ほど神様が、彼らのことを「右も左もわきまえない十二万以上の人間」とおっしゃっているとおりです。天地万物の創造主を知らず、石や木で作った神々を拝んでいるような霊的に無知な罪深い人々です。
 けれども、彼らはヨナのメッセージに胸を刺されて、なんとかして神様のあわれみにすがりたいと願ったのです。願って、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、悪い行いを止めて、彼らなりの悔い改めを表現したのでした。

(4)神の赦し
 すると、神様はニネベの王をはじめとする住民たちは、何を今さら愚かなことをしているのだとおっしゃって、ニネベを滅ぼすことをなさいませんでした。「神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。」(3:10)
 なんとありがたいことでしょうか。なんと神様は哀れみ深いことでしょうか。神様はたしかに正義の審判者でいらっしゃいます。けれども、同時に、神様はあわれみ深いお方でいらっしゃいます。あくまでも悔い改めない者は滅ぼされてしまいますが、どんな悪者も悔い改めるには破格のゆるしをさえお与えになるのです。
「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
 神はニネベにあわれみをかけられました。ニネベに下そうとされていた鉄槌をとどめられたのです。この後、ヨナはニネベの町が悔い改めてしまって、神の御怒りを被らなくなってしまったので、機嫌が悪くなりました。彼は警告はしたけれど、その警告によってニネベの町の人々が悔い改めることを願っていませんでした、滅びてしまえと思っていたのです。 
そこで神様はとうごまの木のレッスンで、ヨナにご自分のニネベの人々に対するあわれみの心を教えられたのです。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(4:10,11)

適用
 今、私たちと私たちの国は、危機的な状況に置かれています。わたしは、原発震災の危険性について数年前から、みなさんに警告してきましたし、署名運動にみなさんも参加されました。南佐久郡にも通信小海で呼びかけました。同盟教団全体にも、宣教区にも署名をしてもらうように努めました。ですが、残念ながら反応はまことに鈍かったのです。しかし、いま、現実にこうした事態に立ち至って、私たちは恐れおののいています。私たちは、神様の前にニネベの人々のように悔い改めて憐れみを乞うほかない状況にあります。もし神様が私たちが悪の道から立ち返るために努力しているのをごらんになったら、最悪の事態は免れるかもしれません。

(1) 原発破綻と被曝について
 現在、福島第一原発は第1号機は、冷却材喪失事故という致命的な事故を起こし、あるいは第3号機も同じことが起きているのではないかと推定されています。炉心が溶けて、放射性物質が空気中と海と陸とに撒き散らされています。高濃度の放射能がもれ出て、原子炉建屋で作業の人が被曝してしまいました。今後予想されることは、炉内の水素爆発あるいは、炉心が溶けて水に触れ水蒸気爆発が起ることです。すみやかに住民の避難拡大と確実に放射能の拡散を防ぐ措置が必要です。
 すでに、福島県茨城県、栃木県の作物には放射性物質が発見され、水道水にも放射能が出てきました。福島県飯舘村の汚染はひどく、作物の出荷停止どころか農民が収穫の為に畑に入ること自体が禁止されるほどの汚染となってしまいました。農地を失った農民はどうやって生きていくのでしょう。空気が汚され、水源地が汚され、土が汚され、海が汚されています。現在は神様のあわれみによって陸地から太平洋に向けて北西の風が吹いていますが、春になると風は南風に変わって行きますから、海だけでなく、東北地方、北海道が放射能で汚染されます。そうすると、水源地が汚染すればそこに住む人々が健康被害にさらされ、東北の穀倉地帯の土壌が汚染すると日本全国食料危機になります。

 私は素人ですから、どのようにすれば冷却装置を失った原子炉を止めて放射能を封じ込めることができるかを知りません。水素爆発に至るほか無いのか、あるいは、チェルノブイリのようにコンクリート詰めにしてただ遠くへ避難するほかないのかもしれません。コンクリート詰めにするにしても1年ほどは冷やしてからでないとできないそうです。神様に、なんとかしてこれ以上の原子炉の暴走を止めてくださいと祈るほかありません。東電は小規模の事故に見せかけようとして後手後手に回ってきましたが、もはや時間がありません。なりふり構わず、すみやかに確実に放射能の拡散を防ぐ措置が必要です。

(2)原発政策の悔い改め=方向転換
 神様にあわれみを乞うならば、悔い改めすなわち方向転換が必要です。神様は、ニネベの人々が身分の高いものから低い者まで、みなが罪を悔いて悪から離れようと努力していたので、この町を憐れまれたのです。実はニネベの町は、ヨナの警告を聞いて一時的に悔い改めたのですが、その後、ふたたび暴虐なものとなったので、紀元前612年に滅ぼされてしまい、今は廃墟となっています。
 私たちはまず、原子力に依存してきた罪を認識しなければならないと思います。原子というものは、神様がこの世界を造るときの最小限の単位としたものです。アトムというのはこれ以上には分割できないという意味です。それを無理やりに分割すると、そこから莫大なエネルギーとともに、自然界にない放射性物質が飛び出すのです。つまり、私の理解では、原子力利用というのは神様が定めた世界の創造のプランを否定するという、人間には許されていないとても傲慢で強欲で罪深いことであるように思えてならないのです。その罪の報酬を今、私たちは受けつつあります。
 原発のもう一つの問題は、原発が成り立つためには、これを保守点検する現場の人たちが自分のいのちを常に危険にさらさねばならないということです。電力会社の偉い人たちではなく、電力会社の正規の社員でもない人々がもっとも危険な作業を担当させられているのです。これは神様の自分を愛するように隣人を愛しなさいというご命令に背くことではないでしょうか。
 原発のもう一つの問題は、それが神様が私たちに託されたこの水と緑の美しい日本列島の環境を破壊するからです。この地震列島に50余りも原発があるのは異常です。すでに申し上げたように、空気も、水源地も、大地も、海も、放射能で汚染してしまいました。ここで原発政策を180度転換しなければ、さらにひどいことになってしまいます。宮城沖は25年以内に99パーセント来ると言われてきましたが、東海大地震は25年以内に90パーセント以上の確率で来ます。その東海地震の震央に浜岡原発が稼動中です。狂気の沙汰としか言いようがありません。宮城沖のように遠くに震源があるのと違って、東海大地震は直下型超巨大地震です。浜岡原発は破綻します。
 これほど危険で罪ある原発を、近年、わが国は自分の国内に留まらず、海外に日本の原発を売り込もうとしていました。しかし、神様は、ついにその企てをお許しにならなかったのです。

(3)もし今回の事故について本当に日本人が悔い改めて、神の憐れみがあれば、原発を全廃して、平和できれいな国づくりは可能です
  ほとんどの日本人が原子炉がなければ電力は足りないと思っています。なぜかといえば、電力会社がマスメディアのスポンサーとして「原発がないと電力が足りない」と宣伝して、子どものころから洗脳されているからです。しかし、事実はちがいます。人口減少と共に電力需要は低下傾向にあり、電力は余っているのです。火力発電所はいまも50パーセントは休ませているのです。だから、電力会社は片方で「電力が不足する」と宣伝しつつ、片方で「オール電化」「電気自動車」キャンペーンをして無理やり電力需要をふやそうとしていて、事実、オール電化キャンペーンですでに2つの原子炉分の需要を作り出したそうです。
  2010年の総電力量に原発の占める割合は23パーセント。全国の照明をLED化することによって見込まれる節電は20−25パーセント。LEDにかぎらず現代は省エネ技術がとても進んでいるので、ある統計ではそれらの省エネ技術を総動員すれば、現在よりも35パーセントも節電が可能だそうです。省エネ技術を駆使すれば、原発など一つも要らないのです。
  ですから、いま実行すべきことは、第一に、電力会社にオール電化・電気自動車キャンペーンをやめさせて節電すること。第二に、遊ばせているバックアップ用火力発電に一時切り替えて、すべての原発を停止し原子炉の地震対策を徹底強化すること。原子炉が冷えるには10年ほどかかりますから、その間に地震が来る可能性が高いのです。第三に、白熱灯を禁止し、全国のすべての照明を省エネに切り替えてゆき、順次火力発電を停止することです。もし神様が、今回の原発問題をあわれみによって終息させてくださるならば、そのあと、悔い改めて脱原発と安全な新しい日本つくりは可能です。

 私たちの国は原発行政の悔い改めをしなければなりません。神様の作品を壊してまでエネルギーを取り出して用いようとしてきた傲慢、その悪魔的な技術に胡坐をかいてきた怠慢という罪を。そして、あのニネベの人々のように、上から下まで、神様のあわれみにすがるほかないのです。

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