苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

♪やっぱウソだったんだね♪


    ツキミソウ(月見草)


 信州は朝夕寒くなってきました。もう夏の猛暑のピークが過ぎつつあります。
 東電管内では、真夏も原発依存ゼロでクーラーを止めることもなく、計画停電もなく、過ごすことができることが実証されました。おめでたいことです。「東電は原発依存度30パーセント。原発がなければ電力は足りない。」という経団連・電力会社・保安院・読売をはじめとするマスコミによるプロパガンダは、やっぱりウソでした。
 いっぽう、関西電力は一年間、この夏のピーク時のための火力再稼動などの対策をあえてしないまま夏に突入することで、電力不足を演出して、関西広域連合の知事たちを脅して大飯原発をむりやり再稼動して、即座に火力発電所は8つ停止するという、あまりにもわかりやすい国民に対する背信行為をやってのけたわけですけれども。
 下記には、東電管内のこの夏の電力需給に関する数字が挙げられています。

原発がないと電力不足?東電は原発依存度0%ですが何か?
http://blogos.com/article/43001/

 この一連の動きの中で筆者が一番がっかりさせられたのは、原発のことよりも、「偉い」とされる人々が原発村の利得のためにウソを平気でついていたのだということです。
 その昔は悪い人の代表は泥棒で「ウソは泥棒の始まり」と言って、他方、偉い人の代表は「末は博士か大臣か」と言ったものでした。でも、私が子どものころから「ウソは政治家の始まり」と揶揄されるようになった、「大臣」は信用されなくなりました。しかし、いまやウソは泥棒や政治家の専売特許ではなく、官僚・経団連会長・東大教授たちにまで蔓延している現実をまざまざと見せられてしまいました。今や、「博士」も信用されません。
 「がっかりしました」と話すと、M兄は、「先生。そりゃあたりまえですよ。聖書に書かれている通りです。『義人はいない、ひとりもいない。善を行う人はいない。一人もいない。』とあるじゃないですか。」と励まして(?)くれました。ほんと、聖書に書いてあるとおりなんですね。
 どこかで文系的知性はウソをつくが、理系的知性は信用できるというふうなことが書かれていましたが、それもウソです。客観的実験データに基づく理系的知性といっても、結局は、データを取るのは罪ある人間の主観であり、どのデータを採用するかを決めるのも罪ある人間の主観なんです。人間の知性は理系的であれ文系的であれ欲望の影響を受けています。知性には、自説を擁護するのに都合のよいデータを採用し、都合の悪いデータを無視したり隠蔽したりするという情けない傾向があります。
 まずは、私自身が、全知の神の前では、偽りに満ちた者であることを認めて、日々悔い改め、偽りに陥らないようにと祈りつつ歩もうと思います。

「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」エペソ4:25