苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中国語と英語、日本語とコイネー・ギリシャ語

 中国語と英語は似ている。格変化がないので、語順をきちんと決めておかないと、意味不明の文章になってしまうという点においてである。いちばん簡単な例を挙げてみよう。
  I love you.
  我 愛 你 (ウォー・アイ・ニー)

 ところが、日本語の場合、格助詞をつけることで単語に主格(〜が)、所有格(〜の)、与格(〜に)、目的格(〜を)を明示することができるので、語順は相当きままで大丈夫である。新約ギリシャ語コイネーの場合は、格助詞はないけれど、名詞の語尾変化によって資格を明示するので、やはり語順は結構きままで大丈夫である。たとえば、「あなたは」はsu,「あなたの」はsou,「あなたに」はsoi,「あなたを」はseである。そこで、言いたいことから言えばよいということになる。下のように、どの語順でもOKである。
 「私があなたを愛する」「あなたを私が愛する」もOK。ときには「私が愛するあなたを」でも意味が通じる。
 ギリシャ語の場合、 ego se fileo . se ego fileo. ego fileo se.どれでもOKである。ちなみに、ego=私は、se=あなたを、fileo=愛する、である。

 こうした日本語とコイネーの特性の共通点に注目して読むようにすれば、くだんの大阪の牧師さん(11月22日)がいうように、日本人も、もっとコイネーに親しみやすくなるんやないかと思うねんけど、どうやろう。それだけやのうて、実際、語順どおり訳していくほうが正確に原文のニュアンスを伝えていることにはならへんのかなと思うねんけど、どないやろ。動詞の主語をけっこう省略するというのも、ギリシャ語と日本語の共通点やしなあ。たとえば、山上の祝福の冒頭や。語順どおりに訳してみよか。
「さいわいやなあ、貧乏な人らは、心の中で。
 なんでかゆうたら、その人らのものやからね、天の国は。
 さいわいやなあ、悲しんでる人らは。
 なんでかゆうたら、その人らは慰められるからな。・・・」
 別に関西弁でなくても、いけるはずやけど、関西弁のほうがギリシャ語を訳しやすい感じがするなあ。口語的に融通が利きやすいからかな。

 今英語を中学生に教えているのだが、I love you.を日本語に訳すとき、「私は愛するあなたを」と訳するようにと指導している。そうすると、英語を頭から順々に読んでいく癖がつくので、早く読める。英文をつくるときにも、語順を日本語風にまちがえない。これは確か、『絶対学力』というすごい名前の本に書いてあった。ギリシャ語を教える神学校の先生たちも、語順訳を神学生たちに心がけさせたら、もっとギリシャ語が身につきやすくなるのではなかろうか。
 英語でも口語的には、たとえば賛美歌「主われを愛す」の原詞にLittle ones to him belong.などという語順で言ってしまっているのを見ると、英語を使う人たちも、ほんとは語順はきままに話したいのであるが、英語は格変化も格助詞もないので、しかたなく順番を決めているのであろう。
 以上のメモは思いつきにすぎません。間違っていることがあったら、読者に専門家の方がいらしたら、「違いますよ」と教えてください。