(ヒマラヤ杉の実、yutorieさんからいただきました。)
使徒教父文書(イグナティオス、ディダケー、ヘルマスの牧者など)や二世紀後半の護教家たちは、ある特定の問題をめぐって書かれており、キリスト教教理全体は語っていない。だが、2世紀末頃からマルキオンやグノーシス主義に対抗して、正統教理の全体を語る必要が生じてきた。異端者の思索が包括的であったので、応答も包括的である必要があったわけ。こうして体系的な神学的著作が生まれてくる。
1.グノーシス主義 ベッテンソン『キリスト教文書資料集』pp68-71 エイレナイオス『異端駁論』
「グノーシス主義の特色は、人間の本来的自己がこの世的なものいっさいと本質的に無関係であるという『反この世的』存在理解と、それに即応して、人間の本来的自己が至高者と本質的に一つであるという、同質性の認識による救済である。そして、このような救済の認識は、それが『反この世的二元論』を前提する限り、この世にある自己の側からは得られず、至高者の側から――多くの場合、彼から『遣わされた者』を通しての――『呼びかけ』によってのみ、啓示されるという特色を持つ。
そして更に、このような存在理解から来る救済への希求が客体化されたとき、グノーシス主義に独特な『神話論』が成立する。それは特定の民族とか国家的伝統に結合した一般的神話ではなく、むしろ、それらの神話から自由に素材を借用して、いつ、どこにでも成立しうる『創作神話』なのである。」
以上、まとめると、グノーシス主義の特色は
a.反この世的二元論
b.人間の本来的自己と至高者との同質性の認識
c.至高者または彼から遣わされた者による知識の啓示
d.超歴史的「創作神話」
e.それゆえ、広く地中海世界、インド−イラン世界、中国にまで認められる。
(荒井献 原典新約時代史pp331−332)
わかりやすく説明すれば、グノーシス主義によれば、
a.人間は本来神と同質の存在であり、この世(物質世界)にあるのは仮のありかた、非本来的自己にすぎない。
b.にもかかわらず、人は自分をこの世のものと思い込んでいるために、この世的なさまざまな苦しみを経験している。
c.そこで、この世にかかわる苦しみから逃れるためには、自分が本来神であり霊界に属するものなのだということに気づくことが必要である。
d.自分が本来神なのだと気づくためには、霊界の側からの知識(グノーシス)の啓示が必要である。
e.霊界からの啓示者はいろいろいて、ソクラテスもイエスもマホメットも仏陀もみなそうした啓示者であるということで、いろいろな創作神話が造られ、その啓示を受けることを霊媒術、今風に言えばチャネリングという。
要するに、現代でいうニューエイジである。拙著『ニューエイジの罠』(CLC)参照。
2.牧会者 リヨンのエイレナイオス(Eirenaios,Irenaeus130/40-200頃)西
論敵はグノーシス主義の異端。グノーシス主義は、もともとヘレニズム世界にあった救済観でもってキリスト教を理解しようとしたものである。
エイレナイオスは牧師であって、今までに知られていない神秘を探求する哲学者や思想家ではない。彼の目的は教会の群れを健全なキリスト教的な信仰と生活に導くことにある。エイレナイオスは旧新約聖書をルカ的な救済史の観点から統合し、これこそがキリスト教なのだと示した。『使徒たちの使信の説明』参照、『中世思想原典集成1』平凡社所収)。これは内容的に見れば、今の時代でいう「聖書神学」の嚆矢である。彼は、独創を目指さず、使徒から引き継がれてきた教会の伝統を通して伝えられた使徒たちのメッセージを伝えようとした。彼は牧師であって、哲学的思索や神秘に深入りすることは、自分の仕事とは考えず、教会を健全な信仰生活に導くことを願っていた。
『偽りのグノーシスの暴露と反駁Elencos kai anatoph yudonumou gnoseos(異端駁論Advertsus haereses)』 ベッテンソンpp114-116
「真理を見分けたいと願う者は、全世界のすべての教会の中にあらわされている使徒たちの言い伝えを、よく観察するがよい。」(第3巻3章1節)
「彼(ポリュカルポス)は常に自分が使徒たちから学んだ事柄を教えたが、教会はそれを後の人々のために伝えているのであり、またそれのみが真理である。」(同3章4節)
「したがって、このように多くの証拠があるのだから、教会から容易に得られる真理を、他のところに求める必要はもはやなわけである。使徒たちは真理に関する事柄を何ひとつ残さずに、大銀行に預金するように教会にあずけたのである。であるから望む者はだれでも、教会から生命を引き出すことができる。・・・後略」(同4章1節)
『使徒たちへの使信の説明』の梗概
長らく題名のみ知られていたが、1904年、アルメニア語訳が発見された 。邦訳あり。
1-3章 本書の執筆意図
4-42章 アダムから始まりキリストにいたる救済史全体が神の救いの営みである。
4-8章 創造主なる神、みことばであり御子なるキリスト、預言者を通して語った聖霊
9-15章 天地創造
16-23章 人間の堕落、ノアの契約
24章 アブラハム
25-28章 エジプト脱出、
29章 ダビデとソロモン
30-39章 キリストの受肉、受難と全人類の救い
40-42章 使徒たちの派遣と教会の成立
43-97章 キリスト教の啓示は旧約の預言にもとづき、イエスは救い主である。
43-52章 御子の先在
53-67章 処女降誕と人としてのキリスト
68-85章 受難、復活、昇天
86-97章 キリストのわざに基づく新生、信仰、教会。
結び98-100章 異端に対する警告
我々が旧新約聖書を通じての聖書神学で学ぶ教えのエッセンスはすでにここにある。ここで「聖書神学」というのは、G.VosがBiblical Theologyでいうように、教義学のような論理的体系順序ではなく、神が啓示をお与えになった歴史的(時間的)順序にしたがって、その真理の体系を把握する神学のことである。歴史を通して神の目的が表されていくという壮大な救いの歴史的理解。一読・精読の価値あり。
父と子と聖霊による創造と救済である。父は、その「両手」である子と聖霊によって万物を創造し 、また、これを救いたまう。救いの歴史とは「神による人間の教育過程 」である。創世記1:26「我々のかたちに」というのは父は子と聖霊に語りかけたことを示唆している(異端駁論Ⅳ20:1)。神は世界の創造のときに「良し」(創世記1:31)とされたゆえに、世界は善いものである。この点、グノーシス派の反世界的姿勢と反対。
神が人をご自身の似姿にしたがって創造した。そのご自身のかたちとは、受肉前のロゴスである。「似姿とは神の子であり、人間は似姿に造られたのであった。そういうわけで、終わりの時に似姿が彼に似ていることを見せるために現れた(1ペテロ1:20)であった。」
神が人を似姿として造った目的は、人を神に似た者として成長させることにある。また、神がイエス・キリストにおいて受肉したことは決して罪の結果ではなく、むしろ、神ははじめから人間と結ばれることを計画していらしたのである。しかし堕落ということが起こったために、目的にいたるために迂回することになった。時が来て神のロゴスは受肉した。アダムとエバは、もし成長と導きの歩みを完了したときには、受肉した神のロゴスに似た存在となるはずであった。実際には堕落してしまったので、受肉の目的の中に罪の治癒とサタンを打ち破る手段の提供が加わった。
完成のアダム
堕落前アダム
堕落後アダム
<宮村武夫先生からの『恵から恵へ』87号より>
Ⅰコリント15章50節を論敵は根拠に
「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(Ⅰコリント15章50節)を口実に、エイレナイオスの論敵たちは主張します。「血肉のからだ」、つまりからだは神の国を相続できない、救いの対象ではない。それゆえからだをどのように用いても救いに関係ないと勝手気ままな生活に走ります。全体から孤立した聖句を口実に、物質を悪と見、からだを蔑視する考えをあたかも聖書の教えであるかのように主張し人々を惑わす論敵にエイレナイオスは鋭く対決します。エイレナイオスは聖書を貫く三本の柱に注目し聖書全体の雄大な展開を視野入れながら、特定の聖句の意味を深く豊かに汲み取ります。
(3)三本の柱
a.天地の創造者と天地万物
創世記1章1節「初めに、神が天と地を創造した。」目に見えないものも見えるものも、その全体を、創造者なる神が創造し、保持なさっているとエイレナイオスは強調。それゆえ目に見える万物の全体が、神の創造のみ業であり、また救済の歴史にその場を与えられていると雄大な広がりに信仰の目を開く。
b.御子イエスの受肉の事実、真の神にして真の人
ヨハネ1章14節「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」「子は受肉し、人となった時、人類の長い伝統を自分の中にまとめ、総括的に救いを私たちに与えた」(『異端駁論』三・18・1)。からだをふくむ人間の全体、その意味で真の人となられたのです。それはからだを含む私たちの全存在が救いに与るため。
c.からだを含む全人格・全人間
人間をからだと魂、霊を分離してしまうのではない。からだを含む全存在が、聖霊ご自身の導きのもとに導かれ、父なる神の意志を行い、キリストの新しさへと新たにされる。
(4)結び
a.孤立聖句主義←→聖書全体を視野に入れつつ、その各部分を正しく解釈する。
聖書全体というとき、旧約聖書と新約聖書の両方を視野に入れ、特にその二つの関係に注意する。旧約聖書と新約聖書の一貫性。しかも、一つの有機体として、旧約から新約への美しい進展を見る。特に主イエスの受肉と聖霊降臨を中心として。
b.全人類の歴史とのかかわりの中で、神の民の歴史。さらに天地万物を常に意識しつつ、神の民全体の歩みを視野に。
c.このような雄大な救いの歴史のなかで、世界宣教の使命の自覚とその遂行。
3.法律家・修辞学者 カルタゴのテルトゥリアヌスQuintus Septimius Florens Tertullianus (150頃-220頃)・・・西―ラテン語で書物を書いた最初の神学者
(1)<生涯>
(150頃-220頃)生涯についてはほとんど知られていない。北アフリカのカルタゴに生まれ、ローマで40歳ころに回心。異教徒に対してキリスト教信仰の弁明の強力なチャンピオン。道徳的な厳格主義に立ち、その点からか、堕落したカトリックに失望して207年頃、モンタノス運動に走る。
(2)アテネとエルサレム
「(グノーシス主義、マルキオン、エピクロス派、ゼノン、ヘラクレイトス、ヴァレンチヌス、アリストテレスたちを批判した後に・・・・)アテネとエルサレムと何の関係があるか。アカデミアと教会は何の関係があるか。・・・ストア的、プラトン的、あるいは弁証的キリスト教を生み出そうとするすべてのもくろみを廃棄せよ。キリスト・イエスを知った後には、われわれはもはや、巧妙な学説や、福音についての鋭い詮議立てなどは求めないのである。」(異端者への抗弁1:7)(ベッテンソンpp27-28)
アカデミアとはアテネ梗概のアカデモスを祀る聖域にプラトンが建てた学園。つまりテルトゥリアヌスは、非キリスト教古典文化と、キリスト教はなにも関係ないとした。こういう立場を、旧来は、アテネを理性の立場とし、エルサレムを啓示の立場として、「理性と啓示は何ら関係ない」という考え方とした。
(3)法的な精神
彼は、法律家であり、修辞学にたけていた。その文章には法的な精神がみなぎり、レトリックは強烈。
<例>『異端者への抗弁(praescriptio)』
praescriptioとは「異議申し立て」という意味で、訴訟手続きが不適切であるとして訴訟取り下げを求めること。彼は正統主義キリスト教会と異端との間の裁判のごとくに捉えて、praescriptioを論じる。すなわち、異端者は教会と論じる権利がないという。なぜなら、聖書は何世代にも渡って正統な教理を継承してきている教会に帰属するものであるのに対して、先ごろ出てきたばかりの異端者は聖書の所有権を主張する権利がない。今ごろ聖書を横取りして勝って気ままに使うのは、不当である。
テルトゥリアヌスは哲学的思弁を排す。ひとたびキリスト教真理を見出したら、もうそれ以上の探求は放棄すべきである。
「君は真理を見出すまで捜し求めるがよい。しかし、ひとたび真理を見出したならば、それを信じるべきだ。それから先、君がすべきことは、信じたことを保ちつづけることだけだ。」(異端者への抗弁8)
全能の神にとって何が可能かを議論するのは時間の無駄であり、危険なことだ。私たちが尋ねもとめるべきは、神に何が出来たかではなく、神が実際にどのようなことを行なったかであるというのが、彼の主張。
(4)厳格主義からモンタノス主義へ
207年頃テルトゥリアヌスはモンタノス主義に走る。理由は不明。彼の性分からして、なまくらになったカトリックに愛想が尽きて、モンタノス主義の道徳的厳格主義に魅力を感じたのであろう。テルトゥリアヌスの最後の三文書「一夫一婦制について」「断食について」「つつしみについて」は、当時のローマ教会に浸透してきた不道徳に対する告発である。ここで彼は叫ぶ、「おまえが霊を消してしまったのだ」「おまえが慰め主(パラクレートス)を追い払ってしまったのだ!」(グッドスピードp270)
(5)神学的功績
『プラクセアス駁論Adversus Praxean 』
また、テルトゥリアヌスの偉大な功績は、後に正統主義の旗印となる三位一体論、キリスト論に定式を示したこと。『プラクセアス反駁』プラクセアスはパトリパッショニズムを唱え、様態論を唱えた人らしい。
三位一体を東方の弁証家テオフィロスのtriasというギリシャ語から、trinitasというラテン語を作り出した。そして、その定式として「una substantia tres personae(一つの実体・三つの位格)」と表現した。
キリストにおける神性と人性については、「utraque substantia in una persona(一つの位格における二つの実体)」として論じた。「テルトゥリアヌス・・・神的実体においては子と父は同質、人的実体においては完全な人性であり、これら両実体が一人格イエスのうちに並存する。ニカイア・キリスト論の同質論も、カルケドン・キリスト論の二性一人格論も包有される。(キリスト教大事典)」
注:「実体 substantia :さまざまに変化して行く物の根底にある持続的なもの。そうした変化に様態を変えながらも、同一にとどまり、次々に現れる諸性質の担い手として考えられるもの。」(岩波哲学小事典)
4.哲学者 アレクサンドリアのクレメンスTitus Flavius Clemens150-215AD
(1)生涯
彼はエイレナイオスのような司牧者とちがって、哲学者・思想家であった。教会の伝統的な信仰をまとめたのではなく、より深い真理を探究しようとするものを助け、異教徒にはキリスト教がおろかな迷信でないことを納得させようとした。彼のあとにオリゲネスが続く。オリゲネスの先生。
おそらく155-160年ごろアテネ生まれで異教徒の家庭に育ち、各地で哲学を学ぶが満たされず、ついにキリスト教に回心する。2世紀半ば、アレクサンドリアには史上最初のキリスト教徒による塾ディダスカレイオンが設立され活動していた。クレメンスは、このディダスカレイオンでパンタイノスに学び、その後をついでアレクサンドリア学校の校長となる190年頃。洗礼志願者のための教会立の教理カテーケーシス学校と、個人教授を中心とする塾ディダスカレイオンははっきりと区別されていた。
(2)学都アレクサンドリア
「アレクサンドリアは世界最大の人工都市、学芸都市、マケドニア人とギリシア人とユダヤ人が密集していたといってよい。70万巻の図書館「ムセイオン」。人口100万。ヘレニズムの牙城というものだった。『旧約聖書』のギリシア語訳(七〇人訳聖書)もそのころできあがっている。が、その成果をオリゲネスが受け継いだのではない。アレクサンドリアの学芸は紀元前でいったん衰退している。
(プトレマイオス朝の三代の王たちがここアレクサンドリアを築き、50万とも70万とも言われる東西の蔵書を抱える図書館ムーセイオンがあった。しかし、カエサルがプトレマイオス朝を打倒したときに、火をかけてしまったのである。)
ようするにアレクサンドリアの繁栄と過熱はキリスト出現以前のこと、『新約聖書』到達以前のことだったのである。
それが別の容姿をもって復活してくるのは、キリストとほぼ同世代のフィロンが登場したころ、ここにネオプラトニズムとグノーシス主義が芽生えてからのことなのだ。
フィロンはユダヤ人であるが、この"復活アレクサンドリア"の人はユダヤ教というよりも、ネオプラトニズムとグノーシスに通じていた。フィロンだけではない。多くのヘレニックなユダヤ人はそういう趣向をもっていた。つまりは、ここにはまだキリスト教が進出していない時期、すでに異教異端の炎が燃え上がっていたということになる。
2世紀、パンタイノス、クレメンス、オリゲネスを生んだアレクサンドリア教会が産声をあげたのは、こうした背景の中だった。オリゲネスがネオプラトニズムとグノーシス主義の渦中で「原点としてのキリスト教」を確立しようとしたのは、こういう事情と関係している。」(松岡正剛)
(3)クレメンスの著書・神学
『ストロマテイス(雑録集)』1:5:28 ベッテンソンpp28−29
「・・・・ちょうど律法がヘブル人を導いたように、哲学はギリシャ精神をキリストに導く養育係であったからである。このように哲学は、キリストにある完成への道をかためる準備であった。」
『ギリシャ人への勧告』
「わたしはただ神の働きを知ることではなく、神を知ることを探求している。だれが、わたしの探求を手助けしてくれるだろうか。・・・どうやって、おおプラトンよ、神を尋ねもとめることが出来るのか。」
とあるように、キリスト教教理のかなりの部分がプラトンの哲学によって支持されていると考えた。彼は真理は一つであると確信していたから、プラトンの中に見出される真理は、聖書においても真理と同じだと信じたのである。
<信仰と理性の関係>
フスト・ゴンサレス第一巻p88「クレメンスによれば、信仰と理性とは相互依存的に深く関連している。理性は、信仰によって受け入れるしかない証明不可能な第一原理に依拠して論理を展開する。知恵ある者にとって、信仰は第一原理であり、その上に理性が築かれるべき出発点である。しかし、信仰だけで満足して、理性を用いて信仰の上に何も築こうとしないキリスト教徒は、ミルクだけで満足している幼児に等しい。」
「神は、隠喩と否定用語によってしか語ることのできない表現し得ない一である。人間は神について「神は・・・・ではない」と語ることしかできない。いわゆる否定神学ということである。たしかに、有限なわれわれが、無限なお方を語ることはむずかしい。無限という言い方自体、限り無しという否定の表現である。
クレメンスの主張の個々のことがらよりも重大なことは、アレクサンドリアのクレメンスのようなプラトン哲学の影響を受けた神学のありかたは、この後のキリスト教神学の形成に大きな影響を与えることになったということである。その弟子のオリゲネスは、さらにこれを発展させる。
5.大神学者 アレクサンドリアのオリゲネス WRIGENOUS Origenes
キリスト教会教父のうち西方の最大の人はアウグスティヌスであり、東方教会ではオリゲネスである。「全ヨーロッパの思想はすべからくプラトンとオリゲネスの注解にすぎない」あるいは「ヨーロッパ2000年の哲学史はプラトンの註にすぎないが、ヨーロッパ2000年の思想はすべてオリゲネスが用意した」などと、ヨーロッパ思想史のどんな本の冒頭にも書かれているにもかかわらず、プラトンはともかくも、オリゲネスについては日本ではキリスト教の研究者をのぞくと、あまり語られてこなかった。」(松岡正剛)
オリゲネスは古代世界最大のキリスト教学者であり、その著作はエピファニオスによると6000の文書だという。ヒエロニムスは、「いったい誰が、オリゲネスの著作全部を読むことができようか。」と言った。
(1)生涯
オリゲネスは184-85年頃アレクサンドリアに生まれた。信仰と愛に満ちた敬虔な父レオニダスはキリスト教教師であり、セプティムス・セウェルス皇帝による202年の迫害のとき、殉教した。このとき、オリゲネスはともに殉教することを望んだが、母が彼の着物を隠していたために外出することができず殉教できずに終わった。オリゲネスは生涯、この父を誇りとし自らも殉教を望んでいた。
ときに18歳のオリゲネスは司教デメトリオスによって教理学校(カテーケーシス)の教師に任命され、211年に迫害が終わり校長となる。昼間は求道者を教え、夜は睡眠を忘れて聖書研究に没頭し、眠るのも寝台を使わずに床に直接寝るという清貧の生活をした。オリゲネスの学識とその敬虔な生活は有名になって多くの人々が押し寄せた。
アンブロシオスという金持ちでグノーシス異端からの回心者が、オリゲネスのために七人の速記者を雇い、218年オリゲネスの口述著作を始めた。最初に着手したのが、テトラプトラ(四欄組対訳旧約聖書)とヘクサプラ六欄組対訳旧約。聖書12年間の働きをした。これがアレクサンドリアの第一期。
その後、パレスチナのカイザリヤに転じ、また217年アレクサンドリアに戻り13年再び学校で教えた。これが第二期。230年から、『諸原理について』問題で、カイザリヤにしばらく移住。ここでも説教、研究、著述。232年頃カイザリヤで司教テオクティトスから司祭叙階を受ける。翌年デメトリオスは激怒し、これを不当として時のローマ司教に訴え、オリゲネスは「悪魔も救われる」と言ったとのことで異端とされる。本当は「悪魔も救われうる」と言ったのだが。これが理由でアレクサンドリアを永久に去ることに。
249年デキウス帝即位。その迫害のとき、オリゲネスは鎖につながれ、種種の拷問を受け、鉄の上に寝かされ、冷たい土牢に投獄され、責め具によって股裂きにされ、火で脅かされながら耐え忍んだ。しかし、出獄後まもなく死亡。254年69歳だった。
<参考>小高毅「オリゲネスの生涯」(オリゲネス『諸原理について』小高訳所収)
P.ノータンによる年譜(新説)
185±2 オリゲネス、アレクサンドリアに誕生
201±2 オリゲネスの父(レオニダス)が殉教
203-205 勉学に専心する
206-210 迫害の渦中で幾人かの若者たちのキリスト教教師となり、その内の幾人かが殉教する。
211-217 迫害後も文法学を教えながら、キリスト教を教える。 この頃、世俗の書物を売り、
キリスト教の教授に専念する。
215-221 この頃、ローマに数ヶ月滞在し、アレクサンドリアに帰還後、『テトラプラ』の編纂に
着手する。オリゲネスの後援者アンブロシオスが回心する。
222-229 アンブロシオスが速記者と写字生を雇って、著述活動を促す。『詩編注解(I-V)』
『ストローマタ(雑録)』『復活について』『哀歌注解』『本性について』
『カンディドゥスとの対話』
この時期の終わり頃、アラビアに旅行する。
229-230 『創世記注解』の最初の数巻『諸原理について』、この試論が物議を醸し、
パレスティナに赴く。オリゲネスはその地で、カイサリアの司教テオクティストス
とエルサレムの司教アレクサンドロスの要請に乞われて、説教をする。
231 アレクサンドリアに戻る。『ヨハネによる福音注解(I-IV)』
231冬-232 アンティオキアで、アレキサンデル・セヴェルス帝の母ユリア・
マンマイアにキリスト教を説く。
232春 アレクサンドリアに短期間滞在する。『ヨハネによる福音注解(VI)』の下書き。
パレスティナを経由してギリシアに赴く。カイサリアで、当地の司教
テオクティストスから司祭叙階を受ける。しかし、アレクサンドリアの司教
デメトリオスがこれに抗議し、ポンティアヌス教皇に上訴する。
233春 アテネにおいて、エルサレムの司教アレクサンドロスからデメトリオスによる
非難を知らされる。かれは自伝的書簡でこれに応えている。
234 カイサリアに戻る。『ヨハネによる福音注解(VI)』 『創世記注解(後半)』
幾つかのスコリア(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)
『祈りについて』
235-238 キリスト教への迫害が再開する。『殉教の勧め』カッパドキアの
フィルミリアノス、パレスティナに避難
238-244 『ヨハネによる福音注解(XXII-XXXII)』238年後半頃、テオドロス、
オリゲネスに師事する。
239-242 エルサレムにて数々の聖書講話を行なう。詩編、箴言、伝道の書、雅歌、
ヨブ記、イザヤ書、エレミア書、エゼキエル書、創世記、出エジプト記、
レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル前
ルカによる福音 (ヨハネによる福音?)マタイによる福音、コリント前後
ガラテヤ、テサロニケ、テトス、ヘブライ、使徒行禄
この時期(239-244の間)、アラビアにて、司教ヘラクレイデスに対する教会会議に出席。
この時の談話が『ヘラクレイデスとの対話』として現存。
243 『使徒行禄注解』
244 『イザヤ書注解』『イザヤ書スコリア』『エゼキエル書注解(前半)』
245 この頃、論考『過越について』執筆。テオドロスがオリゲネスのもとを去る際に、
『謝辞』を残す。第二回アテネ旅行『エゼキエル書注解(後半)』『雅歌注解(I-IV)』
ニコポリア旅行。この時、五番目の聖書のギリシア語訳本を見出した。
245/246 ギリシアまたはカイサリアにて『十二小預言書注解』
246-247 カイサリアにおいて『雅歌注解(後半)』『詩編注解』『箴言注解』
『伝道の書スコリア』オリゲネスのかつての助手アレクサンドリアの
司教ヘラクラスが、オリゲネスを論難する書簡をローマ教皇ファビアヌスに送る。
この時オリゲネスは、『アレクサンドリアの友人たちへの手紙』を書く。
248 ニコメディアにいるアンブロシオスのもとに滞在する。『ローマの司教
ファビアヌスへの書簡』『アラビアのフィリポとセヴェラ皇后への書簡』
『カッパドキアのフィルミリアノスへの書簡』『ヨハネによる福音注解(第32巻)』
『ヨハネによる福音スコリア』
249 カイサリア(あるいはツロ?)において『ケルソスへの反論』
『ルカによる福音注解』『マタイによる福音注解』 『詩編スコリア』
249-251 投獄されて拷問を受ける。
251年6月以降 拷問の傷がもとで死去。
(2)オリゲネスの著述
本文研究、聖書解釈、神学的考察、護教論、手紙の五分野に分類される。
a.本文研究の集大成は『ヘクサプラ六語対照旧約聖書』9000頁の大著。四つの旧約聖書の版を、ヘブル碁盤、ヘブル語のギリシャ文字表記版と並べて段組をして、研究を容易にした。
b.聖書解釈。
注釈scholia
説教homilia。60歳まで書き取ることを禁じた。それでも旧約にもとずくものは444、新約に基づくものが130。
注解書comentariumは旧約177巻、新約114巻に上る。現存するのはわずか5パーセントのみ。その解釈は詳細なもので、たとえばアレクサンドリアで最初に着手しカイサリアで完結した『ヨハネ注解』はに10数年を要している。現在、全体が残ってはいない。1章から13章33節までで32巻あり、第一巻は1章1節の注解である。
c.神学
『諸原理について(原理論)PERI ARCWN TOMOI D De principiis LibriⅣ』 小高毅訳訳あり 創文社
『復活について』
d.護教論
『ケルソス駁論』・・・これは先に紹介したとおり。
(3)思想
彼の方法は、グノーシスを採りこみつつも、キリスト教思想を確立すること。オリゲネスは聖書に戻ってこれをなしとげた。グノーシスからの摂取はあえて断片のみとして利用するだけとして、オリゲネスはグノーシスを本来の意味における「知識」として使える方法をつくりだした。
オリゲネスはスコリア(評注)、ホミリア(講話)、コンメンタリウム(注解)という3つのスタイルをとっている。キリスト教の神学的10原則ともいうべきを打ち立てた。
1. 唯一の神が存在し、万物を秩序づけ、それ以前の宇宙の存在を準備していたということ。
2. イエス・キリストはすべての被造物に先立って処女と聖霊から生まれたということ。
3. イエス・キリストは人間の身体と喜怒哀楽をもちえたということ。
4. 聖霊が予言者と使徒たちに霊感を与えつづけたのであるということ。
5. 魂には実体と生命があり、この世を去ったのちには永遠の至福か永遠の罪業をうけるということ。
6. 死者には復活があり、そのときは朽ちない身体をもちうるということ。
7. そもそも理想的な魂というものがあり、それは自由意志と決断をもっているということ。
8. 霊には善なる霊とともに、それに逆らう悪なる霊があるということ。
9. この世はつくられたものであるゆえに、どこかで終末があるということ。
10. 聖書は神の霊によって書かれたものであるのだから、そこには隠された意味が含まれているということ。
とくに10番目がグノーシスを意識したことである。こうして、オリゲネスはいっさいの神学的原点に屹立する最初の思想者となった。ヒエロニムス、アンブロシウス、アウグスティヌス、エラスムスさえも、オリゲネスの影響を受けている。
オリゲネスはその自由主義的傾向(悪魔も神が望まれたなら救われうると言った)ゆえに後年批判の対象とされ、400年にはローマ司教アナスタシウスに異端宣告されてしまう。それでも、大神学者であったことは間違いない。