苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「日本が神の国になりますように」

(昨日の金善州伝道師への返事をかねて) 
 ムグンファの姉妹は「日本が神の国になりますように」という祈りをもって、この国に来られたのですね。
 もう三十年近く前になりますが、神学生時代、「日本福音土着化祈祷会『葦原』」を結成し、農村伝道をこころざし、地方で苦闘する諸教会から祈祷課題を寄せていただいて、毎週月曜日の夕食後、祈り続けたものでした。そのとき、山口陽一神学生が江戸時代末、日本開国後まもなく来日したS.R.ブラウンが故国の教会あてにしたためた書簡の一節を教えてくれました。以来、時折、これを読み返しては「この国が神の国となりますように」という祈りに胸を熱くします。私たち家族が十七年前にこの信州南佐久郡での開拓伝道に導かれたのは、この葦原の祈りに対する主の答えでした。

 「わたしは、しばしば、独りごとに、いや仲間にも言っているのですが、この日本国がキリスト教国となったら、どんなにすばらしいだろう・・・と。この国民に福音の喜ばしい感化を与えることができるよう、神は力をあらわして下さるでしょう。もしそうなれば、日本を地上の楽園にすることも不可能ではありません。この美しい谷や野原、山腹、農家、村落、町村、都市、全国どこにでもきかれる『南無阿弥陀仏』という祈祷が、『なんじ、高きにいます神よ』または、『天にましますわれらの父よ、み名をあがめさせたまえ』という祈りに変わる時代は、現に来つつあるのです。その時、『日出づる国』はひれふして『爾名は異邦人の間に高くかかげられん』となります。
 これは単なる叙事詩でなく、事実であることは、あなたもわたしも、本国の諸教会も信じていることです。主はそう言いたもうたようにもうそうなりつつあるのです。どうしてこのようなことが起こらないと言えましょうか。」1862年(文久二年)11月8日フィリップ・ペルツ宛て S.R.ブラウン書簡

   祈りの東屋から、小海町、佐久穂町を望む