苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

契約と成就

創世記2:16,17、9:12,13、17:1−8、出エジプト6:7、Ⅱサムエル7:11−14
2010年6月20日 小海主日礼拝

    松原湖バイブルキャンプ場。キャンプ・シーズン近し。

序 虹―平和の契約のしるし
 先日、雨上がり佐久平の空に大きな虹を見ました。クリスチャンになる前は、虹を見るとその根元を掘れば宝がでてくるというので、宝さがしをしたいという強欲にとらわれたものですが(笑)、今は虹を見て「神様は平和の契約を結んでくださったんだ。」と特別な感慨を抱きます。
「さらに神は仰せられた。『わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。』(創世記9:12,13)
神は人間だけでなく、すべての生き物と契約を結ばれたことがノア契約の特徴です。環境破壊のはなはだしい現代、特に注目にすべきことでしょう。神は人を被造物のかしらとして立てて、この世界の管理を委ねていらっしゃいます。
 なぜ虹が「平和の契約のしるし」なのでしょうか。ヘブル語で虹とはケシェトといいますが、これは弓という意味の語です。英語で虹をレインボウというのに通じます。戦いが終われば弓は横にされて壁に架けられます。空に架かる虹は、神が怒りを収めてくださった平和の契約のしるしです。聖書の中では、「契約」というのはとてもたいせつな鍵です。使徒の働きにおけるペテロやパウロといった使徒たちの説教を理解するためにも、神の契約と成就についてお話しておくことが必要なので、本日はそのお話をします。

1.創造の契約

 「契約」という用語が聖書に登場するのは、ノアの契約が最初なのですが、契約自体は、創造の時から始まっています。それは、神が人類の代表アダムに結ばれた創造の契約です。 「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16,17)
 契約のしるしである善悪の知識の木を見るたび、アダムは神の主権の前にへりくだり、神に感謝すべきでした。へりくだりつつ、神に託された園の管理に励むべきでした。そうすれば神はアダムを栄光のうちに導かれたでしょう。しかし、アダムはこの契約を破ってしまいます。それでアダムと人類は霊的死と、肉体的死を経験することになりました。神は土から造られたアダムに「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」とおっしゃったのです。
 以来、人は、最後の敵である死に対して恐怖をいだきながら生きることになりました。

2.三つの契約に一貫する主題

 さて、ノアの大洪水の後、ふたたび増えた人類はバベルの事件で世界に散らされ、諸国ができてきます。この後、神はごく大雑把にいえば紀元前2000年にアブラハム、1500年にモーセ、1000年ダビデにそれぞれ契約を与えました。
主は、アブラハムには「わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。」(創世記17:7)とおっしゃり、モーセには「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。」(出エジプト6:7)と語り、ダビデには「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」(2サムエル7:14)と約束されました。三つの契約に一貫する主題があります。よく読み比べてください。それは「わたしはあなた(とあなたの子孫)の神となり、あなた(とあなたの子孫)はわたしの民となる。」です。この主題が、少しずつかたちは変えていますが、三つの契約に共通している内容です。
「わたしはあなた(とあなたの子孫)の神となり、あなた(とあなたの子孫)はわたしの民となる」という主題が意味していることは、ほんらい、神様の作品として造られた人間が、親である神様に背を向けてみなしごになっている。そして、生きる力も生きる目的も生きる喜びも失っている。そこで、改めて神様が、人間の神となってくださるのだ、神様があなたとともにいるという状態に回復してくださるということです。インマヌエルということです。
エデンの園とは、神が人とともにいてくださった場所でした。私たちがイエス様を信じて救われたということは、今まで神様のない生活をしていたけれど、神様がともいる生活をするようになったということです。また、将来のことをいうならば天の御国は神が人とともにいてくださることなのです。つまり、救いとはぎりぎりに煮詰めて言えば、神なき人生から神とともにある人生に移されることを意味しています。

3.三つの契約それぞれにともなう約束

この主題に加えて、三つの契約にはそれぞれ特別の約束が付随していて、王国時代に当面の成就を見ますが、キリストにあって真の成就を見ることになります。
(1)アブラハム契約「相続の契約」
アブラハムに約束されたのは、彼の子孫が多くの国民の父となり、地を相続するということでした。それでアブラハム契約は<相続の契約>と呼ばれます。「あなたは多くの国民の父となる。」(創世記17:4)「わたしは、・・・カナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17:8)
アブラハム契約は、当面、イスラエルの民がエジプトからカナンの地に戻ってきたことと、サウル、ダビデ、ソロモンと多くの王たちによる王国建設によって成就しますけれども、やがてイスラエルの不従順によって国は滅びます。アブラハム契約は一見成就したように思えましたが、結局だめでした。
しかし、アブラハム契約はキリストにあって世界規模で成就します。つまり、キリストを信じる者は信仰によるアブラハムの子孫となり、相続地はカナンではなく世界となるのです。
「そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。『わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした』と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。」(ローマ4:16)
 つまり、世界のあらゆる民族国語の人々に福音が宣べ伝えられているのは、アブラハム契約の成就なのです。主イエスが再臨されるとき、神の民が世界の相続人となるという約束の成就はさらに明らかになります。

(2)シナイ契約「幕屋と律法の契約」
 アブラハムからおよそ500年後、神はモーセに<幕屋と律法の契約>を与えました。これはシナイ山で与えられたことにちなんでシナイ契約と呼ばれます。
幕屋とは神の住まいです。神様があなたがたの只中に住んであげようと言ってくださったというわけです。では、律法とはなにか。律法とは聖なる神とともに生きるのための基準です。ところが、イスラエルは律法を破り、ついに紀元前6世紀には滅びてしまいました。このようにしてアブラハム契約と同じように、当面、成就したかに見えたシナイ契約も成就しなかったのです。
しかし、キリストにあってシナイ契約は成就します。「ことばは人となって、私たちの間に幕屋を張った。」(ヨハネ1:14私訳)とあります。新改訳で「住まわれた」と訳されていることばは「スケネオー」といいますが、これはスケネー(幕屋)ということばの動詞形つまり「幕屋を張った」という意味です。
そして天に昇ったキリストは、天から聖霊を注いで、律法を石の板ではなく、人の心の板に刻むことによってシナイ契約を成就してくださいました。「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」(2コリント3:8)
 聖霊に満たされるとき、人は今までとはちがった価値観となり、新しい人生を生きることができるようにされるのです。「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。」とイエス様はおっしゃいましたが、まさに、これは新生のことです。今まで、偶像を拝むことは信心深くてよいことと思っていた人が、創造主のみを礼拝すべきなのだという風に価値観が変わり、カネが一番大事だと思っていたエゴイストが、神様を愛すること、隣人を愛することを人生の目的とするように変えられたとしたら、それは人間のわざによるのではありません。聖霊のみわざです。石の板に刻まれた律法を、イエス・キリストが、聖霊を教会に注ぐことによって神の民の心に刻まれたのです。

(3)ダビデ契約 「王国の契約」
モーセの時代からさらに500年ほど下って、およそ紀元前1000年、神はダビデ王に契約をお与えになります。ダビデが神殿建設を志したときのことです。
「主はあなたのために一つの家を造る。あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」(2サムエル7:12-14)
 約束の内容は、<ダビデの子孫の王国を確立するということと、その王が主のために家(神殿)を建てるということ>です。
 主の約束はダビデの子ソロモンが神殿を築いて当面成就されますが、ソロモンは罪を犯して王国は南北に分裂して王国は滅びます。アブラハム契約、シナイ契約と同じように、それは当面イスラエル民族という狭い枠のなかで一応成就したかに見えるのですが、結局、人間の罪の故に破綻してしまいます。
しかし、このダビデ契約はキリストにあって、真の成就を見ることになります。ダビデの王座は地上から天上の父なる神の右の座に移されたのです。すなわち、ダビデの子として生まれたキリストは死んで三日目によみがえり、昇天して父なる神の右の王座に着座されました。そして、ペンテコステ聖霊を注いで神の御住まいとしての新約の教会を築かれたのです
「そこでこう言われています。『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。』──この『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(エペソ4:8-12)。
「高い所に上られたとき云々」というのは詩篇の神の御業を語る預言です。神なるキリストはひとたび受肉して地にくだられましたが、地上の任務を成し遂げるといと高き天に登り父なる神の右の王座に着座されました。ダビデの王座は地上から天上に移されたのです。キリストは王として、その御座から聖霊の賜物を注いで使徒預言者、伝道者、牧師、教師を立ててみことばによって神の家、神殿を支配なさいます。そのようにしてキリストの王国は確立しました。しかし、それは完成されたわけではありません。それは主の再臨の日まで成長し続けていくのです。
「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:21,22)
建物が成長するというと、ヨーロッパにはゴシック様式の天をつくような礼拝堂を思い出します。ケルン大聖堂ノートルダム寺院などがあります。あのような聖堂はひいおじいさん、おじいさん、父、そして私というように数世代にわたって築き上げられたのだそうです。曽祖父のときに土台が据えられ、祖父の時代に壁が築かれ、父の時代に屋根ができ、私の時代にようやく尖塔に十字架が取り付けられたというふうなぐあいでしょうか。キリストの教会は旧約時代の神の民の教会の土台の上に二千年間にわたって築き上げられ成長し続けて今日にいたっています。その神殿を成すひとつひとつは生きている石であって、私たちキリストを信じる者たちです。そして、キリストが再臨されるとき、ついに神の御住まいは完成するのです。

むすび キリストによる契約の成就

 以上のように、創造の契約に始まり、ノアの平和の契約によって保たれている世界で、アブラハムの相続の契約、モーセの律法と幕屋の契約、ダビデの王国の契約は、キリストの新しい契約によって成就しました。イエス・キリストの新しい契約のしるしとは、パンとぶどう酒です。
「それから、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカ22:17-20)つまり、キリストが人となって来られ、十字架と復活によって贖罪をなしとげ、天の御座に着座し、天から聖霊を注いで世界に広がる神の御住まいである教会を建設されることによって成就したのです。
 しかし、主の御国はなお栄光のうちに完成したわけではありません。完成するのは、主が再び戻られて新しい天と新しい地が造られるときです。その栄光の日、御座につくキリストは、あの契約の主題を高らかに叫ばれます。
「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。』」(黙示録21:3)
 この壮大な、創造から終末の栄光の完成にいたる救いのご計画のなかで、私たちはキリストにあって救っていただいた者です。そのことの素晴らしさ、神の歴史支配の偉大さを賛美しましょう。