苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

草刈りをして思い出すこと


  オオデマリ


 今日は教会堂のまわりと駐車場として借りている百数十坪の土地の草刈をした。小さなエンジンがついた歯車状の草刈機を使って、である。16年前に使い始めた草刈機だが、歯は交換したもののちゃんと動いている。一時、アクセルを緩めても歯車が止まらなくなったので危なかったのだが、なにかの拍子でそれも治って快調である。朝9時から11時半までの作業で汗びっしょり。
 地域でも梅雨が明けると、公園の草刈や道普請という共同作業がある。どうしても出られないときには、出不足料を払うことになる。だが、実はいっしょに汗を流すことに意味がある。カネではすまないことがある。
 そういう作業に参加してみて思いだしたのは、湾岸戦争でカネは出しても人間を出そうとしない日本に対して諸国の批判が集ったことである。平和主義というわが国の国是、憲法9条が大事なことは言うまでもない。大義名分を掲げて中東の小国を大国が寄ってたかって攻撃することの卑怯さ、そして、その蔭に石油に対する権益への貪欲や軍需関連産業のための数年ごとの「在庫一掃セール戦争」を意図していたというあさましさを知るほどに、そういう戦争を支持するつもりは全然ない。けれど、なんでも金ですむというセンスという一点について、見直しが必要だという風に思うのだ。