苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

福音を氾濫させよう

                  使徒5:12-32
                 2010年1月17日

*弟子たちがますます増える  

 ペンテコステ聖霊がくだり、使徒たちと兄弟姉妹たちが大胆に福音を伝え始めました。それと同時に、教会は貧しさも豊かさも共有するコイノニアによる相互扶助の愛の実践をしました。サタンはアナニヤとサッピラの出来事をもって、教会の成長に水を差そうとしましたが、その出来事はかえって神を畏れる心、悔い改め人々のうちに起こさせて、かえって教会の成長に拍車がかかったのでした。
 その後の教会の著しい成長のようすが12節から16節に描写されています。
「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。また、エルサレムの付近の町々から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。」(5:12-16)
 使徒たちの行なった多くのしるしと不思議なわざというのは、神様が特別にお与えになったいやしの奇跡の数々です。医療手段のほとんどない時代でしたから、病がいやされるというと人々は使徒たちのところに押し寄せました。佐久市臼田の商店街は閑散としているのに佐久総合病院だけいつも人が押し寄せているのを見れば、想像がつくでしょう。
このようにして多くの人々が、神殿に集うと、そこでなわれているキリスト者の集会に加わり、その規模は数千人になりました。キリスト者たちの賛美、人々の顔の輝き、うるわしい助け合い、そういうようすを見ていた周囲の人々は、ある人たちは群れに加わり、またある人たちは自分はまだ加わることに躊躇していましたけれども、「彼らを尊敬していた」(13節)とあります。「好意者層の拡大」です。教会というのは富士山の頂上近くの雪がかかった部分のようなもので、その部分が大きくなるためには裾野が広いことが必要です。伝道をして救われる方たちが増えるためには、教会が置かれた社会において信用を得て、好意をもっていてくださる方たちが増えるということも大事なことなのです。
 なぜ彼らはそのような尊敬や好意を抱かれるようになったのでしょうか。ひとつは使徒たちの奇跡と、ひとつは集会に人々が集って礼拝しているキリスト者たちの生き生きとした喜ばしい様子です。こうして、エルサレム中は、ナザレのイエスを信じる人々のことで話題が持ちきりになったのです。あたかも洪水のように、キリストの福音はエルサレム中の人々に知られるようになりました。

サドカイ派
 さて、このように悔い改めてキリストを信じる人々の数が急激にふえて、神殿のなかで数千人もの人々が礼拝を行なっているのを見て、神殿の運営を担当していた大祭司と仲間たち、つまりサドカイ派の人々は、悔い改めるどころか、ねたみに燃え上がりました。民衆は、大祭司たちの高尚な律法解説にはもはや関心を示さず、ガリラヤの田舎から出てきたナザレのイエスの弟子たちの、田舎訛りのある説教に聞き入っていたからです。人々の尊敬はみな田舎から出てきた無学なイエスの弟子たちに奪われてしまいました。その数が毎日毎日増えていったからです。
 サドカイ派というのは、当時、神殿を担当する高位聖職者階級の人々で、彼らはギリシャの合理主義的な哲学の影響を受けていました。サドカイ派の神学によれば、神は存在するけれども、御使いは存在しないし、終りの日の復活もありえないというのです。つまり、人間の理性の範囲内で納得できること以外は起こりえないというのが、彼らサドカイ派の考えだったのです。主イエスサドカイ派に対して、「あなたがたは聖書も、神の力も知らない。」とおっしゃったことがあります。彼らサドカイ派の「神」は、哲学者の神、死んだ神にすぎませんでした。
 しかし、イエス・キリストの神は生ける神、生きて働かれる神です。民衆は目の前で、イエスの御名によって生まれながらの足なえが歩いたり、イエスの名によって目の見えなかった人が見えるようになったりするのを目撃しましたから、奇跡など起こりえないとするサドカイ派の教えには、説得力があるわけがありません。そして、群集は使徒たちから、「これら数々の奇跡は十字架にかけられて死んだイエスが今やよみがえって働いていらっしゃるあかしです」と聞かされて、彼らは次々に悔い改めてイエス様を信じているのです。

*宣教は主の大命令である
 「そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえ、留置場に入れ」てしまいました(17,18節)。これはユダヤ当局による二度目の使徒逮捕です。前回よりも深刻なのは、ペテロとヨハネだけではなく12人の使徒たちみなが逮捕・投獄されてしまったという点です。しかし、初代教会が追い詰められていたのではありません。逆に、大祭司たちが追い詰められていたのです。
 サドカイ派の意に反して、この二度目の逮捕という出来事はいっそう使徒たちと初代教会の福音宣教に対する確信を増すことになっていくのです。それは、今回の危機的状況にかんがみて主が御使いを遣わして、牢屋の戸を開いて彼らを連れ出して、「宮のなかで人々にいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」と命じてくださったからです(19,20節)。宮から救出して、エルサレムから逃げなさいと言ったのではありません。もう一度、宮に行って立って伝道せよと命じたのです。それは、法廷でもう一度キリストについて証言をするためです。
大祭司は当時のユダヤ社会における権威でしたから、彼らが禁じているのにあえて伝道を続けることは、常識的に言えば道を外れたことでした。けれども、今回、主の御使いが使徒たちを牢屋から出してくれて、人々が集る宮で伝道をしなさいと改めて命令してくれたのですから、使徒たちが確信を深めて伝道できたのは当然のことでした。使徒たちはますます大胆に、イエスこそ救い主であることを宮の中で夜明けからのべて伝えていたのです。
 牢屋に閉じ込めたはずの使徒たちが宮でまたも伝道しているのですから、慌てたのはサドカイ派の大祭司たちでした。そして守衛長を派遣してもう一度使徒たちを逮捕・連行させました。大祭司はかんかんになって使徒たちを最高議会の前で問いただしました。
「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい(口語訳:氾濫させてしまいπεπληρώκατε)、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」(5:28)
 大祭司のことばを見ると、使徒たちが主イエス大宣教命令にただしくしたがっていたことがわかります。「広める」ということばにはプレーロオー「満たす」という語が用いられています。口語訳聖書では「氾濫させてしまい」と訳しています。いい訳語ですねえ。キリストの復活の福音がエルサレム中に大洪水のように氾濫している、あふれんばかりであるというのです。主イエス大宣教命令は、二つの内容を含んでいました。一つは「すべての人に福音を聞かせる」ということであり、もう一つは「信じた人をキリストのからだなる教会として形成せよ」ということでした。使徒たちは、大祭司の側から見ても、エルサレムに福音の洪水をもたらし、そして、信じた人々は毎日のようにエルサレム神殿に集る礼拝の民つまり教会を形成していたわけです。使徒たちは主の大宣教命令にしたがったのです。
 日本はキリスト教に対して閉鎖的であるというような評論は学者にまかせて、現場にいる私たちはこの主から託された地域を福音の洪水で満たすことに励みたいものです。キリストの羊は、キリストの声である福音を聞いて出てくるものです。
 見晴台にはごろごろと場違いな岩が転がっています。あの岩はどこから来たのでしょうか。平安時代の887年8月22日、日本列島をプレート型の九州から関東まで超巨大地震が襲いました。この地震によって八ヶ岳天狗岳の東側が山崩れを起こし、岩なだれとなって大月川の谷を駆け下りました。その結果、海尻に130メートルの高さの天然ダムができ、もう一つの岩なだれは千曲川沿いにくだってこのあたりに積もって30メートルの高さのダムができて相木川をふさぎました。この会堂が立つ見晴台は、その岩なだれの堆積物であり、相木川をふさいだダムです。見晴台の大岩たちは天狗岳から転がってきたのです。やがてダムには秋の長雨、雪解け水、また、梅雨とだんだんと水がたまっていって、1年後には海尻海ノ口・広瀬・大蔵峠までが大海(南牧湖)となり、ここから本村にかけての湖が小海(相木湖)と呼ばれるようになりました。1年後、大海は決壊して佐久、小諸、上田から長野までつまり、佐久平善光寺平を洪水に巻き込みました。今日、平安砂層と呼ばれる50センチないし1.8メートルの地層がそのあとです。
水や岩や土砂の洪水は恐ろしいことですが、永遠のいのちと希望を与えるキリストの福音の大洪水は喜ばしいことです。大祭司が「あなたがたは福音をこの地に氾濫させた」とかんかんに怒って嘆いたほどに、キリストの福音を満たしたいものです。

*キリストを証言する
 さて、使徒たちは議会の前に連れ出されて、ふたたびキリストの福音を証言するチャンスが与えられました。先にもお話したように、この逮捕と尋問は主イエスがおっしゃったことばの成就です。「だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」(マルコ13:9−11)
 ですから、使徒たちはびくびくと恐れてはいませんでした。今、主イエスが私たちを用いてご自分のことを証言させてくださるのだと知っていたからです。語るべきことばは聖霊が与えてくださると確信していたからです。もし、私たちも信仰のゆえに官憲にとらわれて証言台に立たされるようなことがあったなら、恐れる必要はありません。それは主イエスのみことばの成就であり、福音を公然と証するために神様がくださったチャンスなのです。そのとき語るべきことばは聖霊が教えてくださいます。
 さて、ペテロと使徒たちは、議会の禁止命令に反してイエス・キリストの御名をのべつたえたことを非難されたところ、今度は前回4章19節よりもいっそうはっきりと答えました。
「 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」(5:29)
前回は ペテロとヨハネは「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」(4章19節)と言ったのですが、今回はさらに確信に満ちています。それは、今回、主ご自身が御使いを遣わして彼らを牢屋から解放して、宮で伝道しなさいと命じてくださったからです。もう一度確認しますが、伝道命令はキリストが私たちキリスト者に与えた絶対的な命令です。私たちキリスト者は、国家の権威を重んじるように聖書が教えているのでこれを重んじますが、こと伝道に関してはたとえ国家が禁じたとしてもこれを遂行しなければならないことなのだということです。今日でも、世界には福音伝道を法律で禁止している国々がありますが、私たちキリスト者にはそうした国々にも福音を伝える義務があるのです。ただ黙って礼拝しているだけならば、世間の風当たりなど弱いものです。ですが、福音をのべて伝えて来たからこそ、歴史の中で教会は迫害を受けてきたのです。
 今日、多くのイスラム国や仏教国ネパールなどでは、親がキリストを礼拝し子どもたちにその信仰を継承させることは罪とされませんが、異教徒にキリストを宣べ伝え洗礼を授けると違法であるとされています。では伝道をしないのでしょうか。いいえ、伝道をするのです。主のご命令ですから。
 こうした確信に基づいて、ペテロは大祭司たちを前にして、キリストの十字架と復活の福音を宣言します。誰を相手にしようと、伝えるべきはキリストの十字架と復活の福音の事実なのでした。聖霊がちゃんとそのことばを伝道者に与えてくださいます。
「 私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」(5:30-32)

結び
 初代キリスト教会の大胆な伝道の姿を今朝私たちは見てまいりました。彼らは迫害を受けても、かえってそれによってキリストにある喜びに変えられて宣教を展開したのです。神様は御使いをよこして、君たちはさらに伝道せよと命じました。こうしてエルサレムには福音が氾濫したのです。新しい年度に向かっている私たちです。私たちも、この南佐久に、長野県に、日本に、世界に、福音の洪水をもたらし、福音を氾濫させるために、祈り励んでまいりたいものです。