苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

見晴台の場違いな巨岩たち

 小海の見晴台に会堂建設をしたとき、基礎屋さんと水道屋さんを悩ませたのは、次々に出てくる場違いな巨岩であった。いままで一日で堀り上げられなかった仕事はないとおっしゃっていたクリスチャンの水道屋さんが、岩にぶつかった。最初はこれを割って掘り出そうとしていたが、周囲を堀り進むうち岩が自家用車ほどの大きさまで見えてきて、さらに隣接地にまでまたがっていて、いったいどれほどの大きさなのか見当もつかなくなった。ついに水道屋さんはあきらめて、水路の予定を変更せざるをえなくなった。工事に三日もかかってしまって申し訳なかった。しかも、そのTさんという水道屋さんはその工事を神様のためと言って、代金をとろうとなさらなかったのである。ありがたかった。
 このように見晴台の中央部あたりは巨岩がごろごろでてくるのであるが、あきらかに火山由来らしき巨岩もある。これらの巨岩がこんな高いところにどうやって運ばれたのか不思議な感じがするが、水の力によるのだろう。また、見晴台の北端のほうの造成地はきれいな砂状の土であって、基礎工事は容易であったようであり、これも水の作用で運ばれてきたものである。
 見晴台は千曲川東側を走る小海線の東にある高さ20メートルほどの丘であり、その丘の裏側に相木川が流れ、丘の北で千曲川と合流する。やはりこの見晴台こそ、887年の天狗岳崩壊によって生じ大月川を駆け下り、千曲川を流れ下って小海あたりに堆積してできた天然ダムであったらしい。相木川がこの丘にせき止められたとすると、現在小海小学校があるあたりの田畑の地帯が湖水の底にあったということになる。これが戦国時代まで600年間存在したという「小海」であった。
 こんなことを考えながら、見晴台を散歩していると、大きな石にむかって、「お前はかつて天狗岳の上にあったものなのか?」と語りかけたくなったりする。
 ↓写真は見晴台の上にある岩屑なだれの巨石たち。自家用車ほどの大きさほどのものもある。



 ↓見晴台の東側の深い谷が、戦国時代までは相木川を閉塞してダム湖「小海」の終点あたりである。


 ↓下の二枚。この小海小学校あたりは戦国時代まで「小海」の湖底にあった。このあたりは、いかにもかつて湖底だったらしく平らな地面が広がって、今は水田となっている。


 ↓見晴台に立つ小海キリスト教会。

 ↓天狗岳崩壊、岩なだれの広がりの図