苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

人となられた神のように

使徒21:17−26
2011年1月9日 小海主日礼拝


1.パウロの宣教とエルサレム教会の宣教はひとつ

 パウロは第二回目の伝道旅行を終えました。彼の当初の計画では、小アジア半島の諸教会を強め、かつ、さらに小アジアにいくつかのキリストを信じる群れを起こしたいということでしたが、主のご計画は違っていて、主は彼をギリシャマケドニアつまりヨーロッパへと導かれ、コリント、アテネといった町々に伝道をさせたのでした。そういう経験を通して、パウロは視野を急速に広げられたのでしょう。この第二回伝道旅行を終えようとするときには、彼はローマへ、さらに地の果てイスパニヤへ伝道をするのだという明確なビジョンを抱くようになっていました。主イエスは自分を異邦人への使徒として、お召しになったのだったということを、確認したのです。
 しかし、この先、広く異邦人の世界に福音を伝えて教会を形成していくにあたって、まずしておかなければならないことは、パウロの福音宣教者としての正統性を確認しておくことでした。正統性というのは、パウロエルサレムにいる主イエス十二使徒たちの承認を受けて伝道をしているということです。言い換えれば、パウロは決してエルサレムの教会と別の教会を建てようとしているわけではないのだという事実を、誰から見てもあきらかなように確認しておくことでした。キリストのからだは一つの聖なる公同の教会なのです。そのためパウロエルサレム使徒団・長老たちの所へと向かいました。

 さて、少し緊張してパウロ一行はエルサレムを訪ねたわけですが、17節に「エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。」と書かれています。すでにエルサレム会議があって、パウロエルサレムの教会の長老たち、ペテロやヤコブと交流を持っていました。そして、翌日、パウロは同行者といっしょにエルサレム教会の重鎮であるヤコブを訪問しました。そこにはパウロが到着したことを知って、エルサレムの教会の長老たちがみな招集されていました(21:18)。エルサレム教会の長老たちにとって、異邦人への宣教がどのように展開しているかということが、深い関心の的でした。というのは、主イエスから「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」というご命令を与えられたものの、実際には、ユダヤ人である使徒たちは、それほど積極的・効果的に異邦人に対して伝道活動を展開することができていなかったからです。異邦人とユダヤ人の壁は高くて堅固なものだったのです。
 ところが、パウロはかつてごりごりの律法主義者でありながら、回心後はきわめて大胆に活発に、異邦人伝道を展開していたのです。能力的にも、パウロはガマリエルの門下で訓練を受けた教養人でしたし、ことばの壁もパウロギリシャ語が自由に使えました。エルサレムの長老たちが深い関心をいだくのはもっともなことです。そして何より彼のたぎるような宣教の情熱が異邦人伝道を可能にしていました。

 さて、「(ヤコブをはじめ長老たち)彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだし」(20:19)ました。特に今回の旅では、当初の彼の計画を超えて神の導きによって、マケドニヤの叫びを聞かされてマケドニヤ、ギリシャにまで伝道に行ったこと、ピリピでは投獄されはしたものの、そこに紫布の商人ルデヤと看守の一家による教会が始まったこと、ベレヤでは熱心にみことばを求める兄弟姉妹の群れが誕生したこと、学都アテネのアレオパゴスでの哲学者たちへの宣教の困難だったこと、コリントでは1年半とどまって激しい迫害のなかで教会が誕生したこと、エペソにおいては2年間とどまって宣教した結果アカヤ州の人々はみな福音を聞いたこと・・・こうしたことを、パウロは一つ一つ報告したのでした。
 エルサレム教会の長老たちは、興味津々、また真剣そのものに、パウロの異邦人伝道の報告を聞きました。そして、「彼らはそれを聞いて神をほめたたえ」(21:20)たのです。主はたしかに異邦人にも、聖霊を注いで、キリストの福音に心を開くようにしてくださったのだということを確認したのでした。「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と命じられた主は、その命令にしたがうときに、確かに道を開き、実を結ばせてくださるのだということを聞いて、主をほめたたえたのです。
 
 というわけで、本日のメッセージの第一のポイントは、パウロの宣教とエルサレム教会の宣教はひとつだということです。主はパウロを用いて異邦人への宣教を実行させ、エルサレム教会の長老たちもそのことを理解し、喜び、主のみわざをほめたたえたということです。リベラルな立場の学者たちは、ことさらにパウロの宣教とエルサレム教会が対立しているのだと語っていたのですが、そんな歴史的事実はありません。パウロの宣教とペテロやヤコブをはじめとする、エルサレム教会の宣教はひとつです。

2.ユダヤ人にはユダヤ人のように

 エルサレムの長老たちは、パウロの異邦人伝道を理解して、支持していたのですが、一つの問題がありました。それは、イエス様を信じるようになったユダヤ人たちの、パウロにかんする誤解です。彼らユダヤキリスト者たちは、生まれたときから旧約聖書のなかの律法を生活のなかで守ることをとても大事にしてきた人々でした。21:20b「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。」とあります。男の子が生まれたら8日目に割礼をほどこすことに始まり、祝祭日の習慣や、食肉(豚肉・馬肉・うなぎなど禁止)などについても実に細かい規定がありました。今日でも世界各地、日本でも神戸などにはユダヤ人のための店というのがあって、ユダヤ教の律法にそった食材が手に入るようになっています。律法に熱心でまじめなユダヤ人たちは、そうしたことに慣れ親しんでいましたし、それ以外の生活の仕方は考えられません。イエス様を救い主として受け入れて信じるようになっても、こうした律法の規定を守り続けないと、良心のとがめを感じてしまう人々でした。
 パウロエルサレム教会長老会が、先に開かれたエルサレム会議(使徒15章)ですでに確認していたことは、次のことでした。<ユダヤ人クリスチャンは信仰生活において先祖がしてきたように、割礼をはじめとして律法のもろもろの慣習にしたがって歩めばよい。だが、異邦人でクリスチャンとなった人々は、「偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきである」ということだけを守ればよい>(25節参照)としたのです。ユダヤ人クリスチャン、異邦人クリスチャンは基本的に、それぞれの生き方をしてよいが、相互に立場の違いを尊重しあい互いにつまずきをあたえないように配慮せよということでした。
 ところが、パウロの宣教活動について、一つのまことしやかなうわさが飛び交っていました。それは、21節にあるように、パウロは「異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えている」という誤解でした。
 嘘や誤解にどのように対処するか? 丁寧に弁明をするというのが一つの方法でしょうが、何万というユダヤ人クリスチャンたちを相手に、説明し尽くすことは実際にはできないことでした。そこで、エルサレム教会の長老たちがパウロに提案し、パウロが実行したのは、誤解されている点がまさに誤解にすぎないのだということをパウロが行動によってはっきりと証明してしまうという方法でした。
「それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。」(21:22-24)
 当時のユダヤ人たちが大事にしている規定では、誓願を立てるにあたっては身を清め、頭をそるということをしたわけですが、パウロユダヤ教の慣習を否定しているならば、こんなことを行なうはずがないわけです。しかし、パウロ誓願にあたって、身を清め頭をそり、自分だけでなく4人の兄弟たちがそうすることについても費用を負担するならば、パウロユダヤ人の慣習を否定しているという疑いが晴れるだろうという狙いでした。
 本日のメッセージの第二のポイントは、パウロは、そして私たちは福音について人々に不必要なつまずきを与えないということです。十字架のことばである福音には、それ自体本質的に心かたくなな人にとっては「つまずき」となることはあるのです。「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」を宣べ伝え、キリストの十字架と復活の宣べ伝えれば、それを受け入れられない人はいます。そうしたつまずきは避けられません。けれども、その本質的な部分ではなくて、周辺的なこと、なにか聖書に直接根拠のない習慣や伝統によってつまずきを与えてしまうことがないように、私たちは配慮する必要があります。

3 キリストの受肉がその模範
 
 こうしたパウロエルサレム教会の生き方を見ていくとき、私たちはその背後に、人となられた神、イエス・キリストのお姿を見ることです。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ2:6.7)
 私たちのことを理解し、私たちを罪のどん底から救う為に、イエス様は私たちと同じようになってくださったのです。罪は犯されませんでしたが、私たちと同じ弱さ、痛み、苦しみを味わわれたのです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)
 キリストは私たちがこの世の人々のための福音の証人となるための、完全な模範です。罪は犯さないけれども、相手の立場にわが身を置いてその弱さを理解し同情し受け入れるということです。
 昨年11月初旬から、教団のむずかしい職務のせいか、私は胸部に折々重苦しい感覚を抱いてきました。あるいは心臓に変調があるのかと、感じていました。そして、12月最初の夜の祈祷会で賛美をしている最中に胸苦しくなって歌えなくなってしまい、病院に運ばれました。診断の結果は、幸い心電図にも血液検査にも異常はありませんでした。これは器質性のものではなくて、心因性のもののようでした。それから数日間、特に夜になると自分の存在が消え入ってしまいそうな言いようのない不安というのを、生まれてはじめて経験しました。復調するまでそれからしばらくかかりました。
 ですが、このような小さな経験をとおして、私は初めて同じような経験をした方たちの気持ちというのを理解できました。困難の中で立ち上がれなくなっているある同労者の話を聞いて、「その気持ちよくわかるなあ」と思って話をしたところ、彼にとっては、そのことが深い慰めとなったようでした。そうして、一週間ほどたったときに、ずいぶん癒されたのだという知らせをいただきました。孤立感のなかで人は、こうした病を得ることがあるのですが、共感してくれる友を得るときに、癒しを経験することができるのですね。
 神の御子がご自分の立場を捨てて、人となって私たちのところにまで来てくださったのは私たちの痛みや不安や悲しみを理解して、友となってくださるためでした。イエス様は罪こそ犯しませんでしたが、私たちが経験する不安や恐怖や悲しみをすべて、特にあの十字架の上で経験してくださいました。そうして私たちを罪から救い癒してくださるためでした。そうであるならば、私たちは主イエスを模範として、この世の人たちのなかで福音の証人として生きて行こうではありませんか。

 「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」という福音にはなんら変化を加えてははありませんが、信州人には信州人のように、若者には若者のように、年寄りには年寄りのように、中年には中年のように、子どもには子どものように・・・と、福音をあかしする私たちの生き方については、主イエス受肉を模範とするということです。というわけで、本日のメッセージの第三ポイントは、「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」という福音の本質は変えてはいけないけれど、これを伝える私たちの生き方は、人となってくださって私たちを理解してくださる御子イエス様を模範とするということです。