苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

そもそも憲法とはなにか?


 たいへんお恥ずかしいことだが、近年改憲論議が盛んになるまで、そもそも憲法というものがなんであるかを、実は筆者自身、明確に認識していなかった。立憲主義などということを書いてきたので、ここにメモしておきたい。ご存知の読者にはあたりまえのことであろうが、とても大事なことなので、念のために。
 ちなみに、憲法をコンスティテューションといい、立憲主義をコンスティテューショナリズムという。直訳すれば憲法主義である。
 憲法にかんする誤解とは、憲法をほかの法律と同じように、国が国民に命令し国民を縛るための道具であるという考えである。これはまったく転倒した考え方であって、本来、憲法とは、国民が猛獣である国家権力をつなぐための鎖なのである。国家は剣の権能をたくされていて、暴力装置(警察・軍隊という組織的暴力)をもって強制的に社会を秩序立てる役割を与えられている。人類が堕落してしまった以上、国家は必要な制度ではあるというのが聖書の見方(ローマ13:1−7)なのだが、それは暴走すると非常に危険な猛獣なのである(黙示録13章)。そこで、国民が国家権力者の暴走防止のために鎖でつないだのが、そもそも憲法の役割なのである。これが立憲制である。
 だから、日本国憲法にはつぎのように天皇と公務員の重要な義務について記されている。

「第九九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

 というわけで、改憲についてとうとうと論じる政治家たちは、憲法とはなんであるかということを知らない、かつての筆者同様、無知な人々であるか、あるいは知っているが知らんふりを決め込んで芝居をしている国民をだますタヌキの集団であるかいずれかである。どっちにしても、ろくな人たちではないなあ。こまったもんだ。
 日本国憲法の生みの親である鈴木安蔵憲法研究会)は、『新憲法の解説と批判』において、第99条について次のように述べている。

「かかる規定の当然の結果として憲法違反をなした公務員を弾劾処罰する法律および機関が明記されるべきであったとおもふ」

 参照→津久井進弁護士ノートhttp://tukui.blog55.fc2.com/?tag=%CE%EB%CC%DA%B0%C2%C2%A2


(今朝、起きたらあたりは雪化粧していました。きのう、主にある兄弟たちと立て直した教会の看板もこんなふうになりました。なかなか素敵でしょう。)