苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

憲法20条  信教の自由・政教分離の歴史的意味

今日は信州宣教区の牧師会で、日本国憲法20条と自民改憲草案20条を勉強しました。いわゆる政教分離条項です。若手の3人が発表してくださって、話し合って勉強になりました。触発されて、いくつかメモしておきます。

第20条 [信教の自由] 
① 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

自民改憲草案第二十条
① 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。


1.信教の自由・政教分離の意味

 およそ「自由」ということを意味あることとして理解するためには、それが、<何からの自由であるか>を正確にとらえることが必須である。それは歴史的文脈を把握することによってこそ可能となる。信教の自由とは、近世つまり17〜18世紀、絶対王政時代のヨーロッパにおける国家・国教主義の束縛からの信教における自由を意味していた。何を信じるかについて、国民は国家の束縛を受けないということである。
 「政教分離」は、その信教の自由を保障する。コンスタンティヌス大帝以来、権力はキリスト教を国民統合のために役立つものとして利用する政教一致政策を採用してきた。しかし、宗教改革で教会が分裂して以来、国家が教会と癒着していることは、プロテスタントカトリックと相分れた国家間の戦争をさらに悲惨にすることをヨーロッパ諸国は経験した。そこで三十年戦争の結末であるウェストファリア条約において、国家は教会と距離をとろうと決めた。


 では、日本国憲法における「信教の自由」とはなにを意味しているか、歴史的文脈を振り返ってみよう。日本国憲法における信教の自由とは、明治以来、国民を束縛していた国家神道からの自由を意味している。
 次に、日本国憲法における政教分離とは何を意味しているか。政府は国家神道から分離しなければならぬことを意味している。そもそも天皇を強力な権力とする国家神道は、日本の伝統ではなく、伊藤博文が、上述のヨーロッパ近世の諸国の政教一致政策をまねてつくったものであった。皇室は聖徳太子以来、基本的に仏教徒だったし、天皇の政治的実権は鎌倉時代以降失われており象徴天皇制が日本の伝統だった。日本は、近世の絶対王政時代のヨーロッパ列強の政教一致政策をまねた結果、近世ヨーロッパ諸国が経験したのと同種の悲惨を、先の敗戦でなめることになった。そういう意味で、日本国憲法20条は日本にとってのウェストファリア条約だといえる。
 参照:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090727/1248697244



2.危険な「ただし・・・」条項

 以上の観点からすると、自民改正草案20条の③には非常に危険な文言が記されている。
 「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」
 この文言が意図している「社会的儀礼又は習俗的行為」が意味していることは何か。改正草案QAによれば、地鎮祭玉串料を公金から支出することをOKとすることができます、と言っている。だが、そうだとすると、もっと適用範囲は広げられる。戦前は「国民儀礼」と呼ばれた国家神道にまつわるさまざまなことが合憲的に行われるようにということである。つまり、公務員の靖国神社などの公式参拝、公教育における靖国参拝教育指導を可能にするということである。靖国神社の目的は、天皇の戦争のために戦死した者を褒め称えて、国民の戦意を発揚することである。要するに、20条の自民改正草案は神道国教化政策を可能にする。
 その財源についても、公金(税金)でまかなうことを89条改正草案で実現することにされている。

日本国憲法八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

改正草案八十九条
  公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。