苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

国家体制の類型の整理

「共和制であるからといって、民主主義的とはかぎらないところが、世界史のむずかしいところです」ということばから始まった国家体制についての見かたの考察が、Iohsugi先生とやり取りするうちに、だんだん整理されてきた。
 朝鮮民主主義人民共和国のように独裁政権の共和国があるように共和制が必ずしも民主的とはかぎらないし、現代の英国や北欧諸国のように君主制を採用しているからといって、必ずしも非民主的とはかぎらない。これが現実である。
 民主的、立憲制、君主制、共和制という4つの要素の組み合わせを考えると政体の問題が整理できそうである。
 まず歴史の現実から考えて、民主制と君主制は対立概念ではない。両者の字面を見るといかにも対立概念なのだが、むしろ君主制と対立するのは、大統領や国家主席を元首とする共和制である。
 
 民主的体制を維持するための重要な装置は、国民主権を原則とした憲法である。主権者である国民が、国家の暴走を防ぐために、これに鎖をつける。その鎖が憲法である。イングランドのように憲法を持たないという珍しいかたちもあるけれど、かの国のばあい歴史の中で積み重ねられた憲法の役割を果たす法の集成がある。
 だが、憲法さえあれば、なんでも民主的であるとはかぎらない。実質的に民主的であることを意図した憲法でないならば、共和制であろうと君主制であろうと合法的に専制政治が行なわれることになる。戦前の日本は非民主的立憲君主制だった。明治憲法による立憲君主制や、そのお手本だったプロイセンビスマルク憲法による立憲君主制は、外見立憲君主制である。
 また、憲法をもっていて「民主主義人民共和国」と名乗っていても、現実には専制全体主義政治が行なわれている場合もある。北朝鮮憲法には、人民主権が「第4条 朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、勤労インテリおよびすべての勤労人民にある。」とたからかに謳われているのだが、一党独裁体制であるから、憲法はあってもとうてい民主的ではありえない。国家の定める国家思想に染まらない人間は「非人民」とされて、排除されてしまう。共和制の独裁化を許さないためには、三権分立といった権力分散の仕組みと、思想信条の自由・表現の自由・結社の自由といった人権条項がなければならない。こうした装置を備えていない場合を外見立憲共和制と呼びたい。というわけで、歴史の中に現実にあった体制を考えてみると、次の五つになる。

 a.専制君主制・・・・・ルイ14世朕は国家なり」の時代のフランスが典型。
 b.外見立憲君主制・・・ビスマルク時代のプロイセン明治憲法下の日本。
 c.外見立憲共和制・・・朝鮮民主主義人民共和国など。
 d.民主的立憲君主制・・イングランド、ベルギーなど。
 e.民主的立憲共和制・・アメリカ、ドイツ連邦共和国など。 

 民主主義の観点からあらまほしい体制は、民主的立憲君主制か、民主的立憲共和制かである。民主的立憲共和制のばあい、大統領に象徴機能と実務機能を兼務させる米国・フランス第五共和政型と、大統領に象徴機能を持たせ、実務機能は首相に持たせるドイツ型がある。また大統領が実務・象徴を兼務していても、米国には首相はいないが、第五共和政フランスには首相がいるという国情による違いがある。
 しかし、米国大統領は議会と最高裁によって牽制される仕組みがある。また、思想信条の自由・表現の自由・集会結社の自由といった人権条項が確立している。こうしてみると基本的人権の尊重と三権分立の機構を備えていることが、「民主的」であるための必須の要件であり、これらを欠くならば、たとえ文言上、「人民主権」「国民主権」を訴えていても実質無効であることがわかる。
 日本の現状の体制についてはどう考えるか?国際的には日本は民主的立憲君主制国とされている。ただかなり有力な学説として、三権いずれも持っていない天皇は君主とは認めがたいという理由から、天皇はいかなる意味でも君主ではないという主張もある。しかし、そうすると天皇とは何なのかという難問が生じる。歴史を少し学んできて、私としては「日本は特別」とか「天皇は特別」とはあまり思わない。また、しばしば見られる日本特殊論に陥ると聖書の射程外だとされる危険がある。立憲君主制制限君主制とも呼ばれるが、制限の程度が強いのと制限の程度がゆるい場合がある。現代日本の場合、制限が非常に強い制限君主制と見たい。また、憲法のないイギリスが典型的な立憲君主国であるというのは、いちいち説明しなければならないややこしい話なので、まだ耳慣れない表現ではあるが、制限君主国と呼んだ方が便利かなとも思う。わが国は現在、基本的人権の尊重と、国民主権と、三権分立の機構が機能しているゆえに、民主的な制限君主国といえよう。
 

 (古くなった看板を修理してペンキも塗り替えて立て直しました。熔接の技術までもっている博彦さんが立派な足をつけてくれたんです。)